過去・現在・未来 [社寺]
↑善光寺堂 (ぜんこうじどう)、清水寺の仁王門が見える場所の左手にあるお堂。
母が亡くなった時、色んな書類が必要で区役所へ父と行った。
初めて見る曽祖父、曾曽祖父の名前もある。
初めて見る名前。天保という年号まででてくる。
京女の方も同じなのは確実。
↑清水の舞台
京都市内の有名社寺、例えば清水寺でいうと宝亀11年(780年)ぐらいから、いまの場所にある。特に清水の舞台といわれるものはあったであろう。
何度か火災で焼けたけど、との都度、時の権力者によって修復された。
↑音羽の滝
先祖の人たちは、きっと清水寺に行っただろう。
いまと違って観音信仰が盛んだった。
なにかにつけて願掛けに行った。
行ったら舞台に立つはず。
↑本堂
いま、清水寺に行ったら本堂や舞台には行く。
子孫たちも、同じように清水寺に行くだろう。
彼ら、彼女たちと隔てるのは、「時間」だけ。
「空間」は同じ。
時間を越えることができたら、コンタクトできるかもしれない。
自分自身でも同じです。昨年の自分、20年前の自分、来年の自分、と時間を隔てているだけ。
京都市内の社寺を歩いているとそういう不思議な感覚になる時があるのです。
ひょっとして、輪廻転生というのがあり、何回も自分の魂が同じ場所に来ていたりするかも。だから懐かしいというのがあるのかも。
その時、いっしょに来た人が過去世と違う関係で今世に生まれ、関係しているということもあるのかも。
↑本堂内にある大きな額。「慈眼視衆生」と「福聚(寿)海無量」。「慈眼視衆生」人が自分の心の中にほんのちっぽけな物で良いから、観音様の心を持ち、慈悲の心で他人を見る。「福寿海無量」福寿の報いが海の如く無限にあると信じて行動に移せたらと思う。観音様のような慈愛で他人を見たいものです。もちろん自分自身もね。意外と自分自身というのを忘れて不幸になる人がいます。自分も他人も同じなのですからね。
この世、つまり3次元世界に住んでいると時間は越えられない。
でも魂のように肉体を離れたら、4次元か五次元の世界に住むのかも。
すると時間という観念はない。
時間が流れているのは、3次元世界に住むわれわれの感覚。
高次元から観ると違っているのかも。
この世に生まれる時は、時間は過去から未来に流れているように感じる。
↑子安塔(こやすのとう)
なんて不思議なことを考える。
「時空の旅」を感じるには、京都の古い社寺はいいのかもしれない。
先祖や子孫とすれ違っているのですから。
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをします。詳しい説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
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京男様おはようございます。
今朝は「時をかける少女」風ですね。
時間を超越するのは人類の夢ですが、いつ頃から芽生えた考えなのでしょう?
時空を超える、透明人間、正しい世界、永遠の夢のようです。
by 常盤万作 (2016-08-15 07:07)
>常盤万作さん、おはようございます。
結局、時間という問題は、われわれにはわからないのかもしれませんね。陽炎や逃げ水のような感じです。未来も過去も可能性の数だけある。そんな感じです。
透明技術は、出来そうですね。工学的なものではありますが。
家庭でお父さんが透明人間化している家庭は知っております。
人間が介在すると正しい世界なんてのはありえない。人類がすべて悟ればありえるでしょう。
by 京男 (2016-08-15 08:05)