庭時雨 [風景・和菓子]
もう12月になってしまった。
気が付いたら年賀状を手配していない。
昔に比べ年賀状に力をいれていない。
そろそろ止めてもいい頃なのかな。
でも急に出さなくなったら死んだと思われる。
ブログを休んでもそうやね。(笑)
安否確認の手段としての年賀状やブログ・・・それも役割なのかも。
ブログも私としてはよく続いていると思う。
本日で4809目の記事。
2005年7月からだものね。
途中、読字障害状態になり自分で書いても自分で読めない状態になった。
だから誤字脱字変換ミスも多々あると思います。
でもあたまに浮かぶ事柄を手が勝手にタイピングして行くのです。
これが不思議な状態ですね。
お筆先ならぬ「自動キーボード」ね。
これで画期的なアイデアを書き出したら凄いだろうな。
もっとも日常、アイデアを立体的な形にする時があります。
これは、いままでなかったこと。
それがそごく役に立つのです。
↑長久堂「庭時雨」秋の末から冬の初めごろに、降ったりやんだりする小雨。
できなくなったことは、複数の音源から聞き理解すること。
聖徳太子が七人の訴えを同時に聞いたというやつです。
あれが4つぐらいできた。
いまは、1つだけ。
こうやって文章を書いている時、日本語が聞こえてくると文章が書けないのです。
以前は、複数のセミナー録音から意味をとらえることができたのに・・・。
まあ、切り捨ててしまった能力と新しく出来るようになった能力。
比べると新しく顕現した能力の方が多い。
まあ、それを使って死ぬまでにもっと色々とやれということか。
残り時間がダンダン短くなっていますからね。急がないといけません。
↑こなし、備中白こしあん
本日のタイトルの「庭時雨」
「時雨」明日から京都は雨模様のようです。
空気が乾燥して喉がイガイガするシーズンにしっとりとした雨はうれしい。
もちろん天気もいいけど、空気が美味しいのが優先するかな。
マンションの外装工事がやっと終わり、足場が外されつつある。
久しぶりに見るベランダからの景色が新鮮。
カーテンも開けられる。ちょっと涼しいけど窓もあけられる。
なんでもないことが幸せに感じられる。
もう12月ですね。今年も後一ヶ月。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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京男様おはようございます。
分厚い本と思っていた人生も、残り少なくなってきました。しっかりと書いていた時期もありましたが、最近は健やかな目覚めが有難いです、
by 常盤万作 (2018-12-02 06:33)
おはようございます。
今年は年賀状の作業から残念ながら解放されてしまいました。
「時雨」綺麗な言葉です。日本語の素晴らしさを感じられます。
by すー (2018-12-02 08:31)
>常盤万作さん、おはようございます。
私の場合は、詩集みたいなものですから、いい加減なもんです。
でも最後のページにどんでん返しがあるかも。(笑)
それともいままでが序章なのかも。
by 京男 (2018-12-02 08:46)
>すーさん、おはようございます。
年賀状の作業、ないとホッとするでしょ。ひょっとして余分な作業なのかも。
日本語の言葉は大切にしないといけません。カタカナ語はしっくり感じられません。
by 京男 (2018-12-02 08:54)
今晩は
やっぱり京都の紅葉は格別ですね。
そうそう、この年になると、年賀状は本当に
安否確認の役目もあります。
もう何年も会っていないけど、年賀状は
やり取りしている友が多い、でも
大事かな~と思っています。
by pomme (2018-12-02 23:40)
>pommeさん、おはようございます。
京都は、ブランドと大道具小道具で得をしている感じです。
年賀状、ネットで注文し、次の日に出来上がりました。
ネットはすごい!
でも書くのは年末になるでしょうね。
by 京男 (2018-12-03 07:02)