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大将軍2 [社寺]

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↑モニュメントがどーんと立っている。清明神社の五芒星と違ってこちらは「六芒星」。陰陽道での「六芒星(籠目)」は、陰と陽の調和を表す、「五芒星」とは違う力を持つものとして扱われていました。

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↑下の八角形には、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤という文字が刻印されている。この文字の並びを「八卦」と喚ばれている。

本日も大将軍八神社です。
はじまりは、平安京遷都からでしょう。
その時、神社ができたということではない。
平安京を造るのに、神経を使ったのは、当時最新の考え方である陰陽道的な考え方です。京都が794年(延暦13年)から1869年(明治2年)までの日本の首都としてあったのは、陰陽道にそって造られたからかも。首都が東京に替わってもいまだに大きい顔をしている。
先の戦争(応仁の乱ではない)の時でも爆撃をされていない。だから道が狭いのです。車社会に対応していない街なんです。

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↑招霊ノ木(おがたまのき)

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↑この木にも挨拶しておくといいですよ。

この大将軍八神社も当初は、大将軍堂という施設だったらしい。
大将軍(たいしょうぐん、だいしょうぐん)は陰陽道において方位の吉凶を司る八将神(はっしょうじん)の一。魔王天王とも呼ばれる大鬼神。
魔王とか大鬼神といっても、悪者の親方という訳では無い。

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↑阿形

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↑吽形

古代中国では明けの明星を啓明、宵の明星を長庚または太白(たいはく)と呼び、軍事を司る星神とされたが、それが日本の陰陽道に取り入れられ、太白神や金神(こんじん)・大将軍となった。いずれも金星に関連する星神で、金気(ごんき)は刃物に通じ、荒ぶる神として、特に暦や方位の面で恐れられた。
そういう陰陽道の神々の力を取り入れ、平安京を守護したのです。

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↑地主神社(大杉大明神)

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↑豆吉明神※
※明神(みょうじん)は、日本の神仏習合における仏教的な神の称号の一つ。

大将軍八神社の祭神とされる暦神八将神とは暦の吉凶を司る星神であり、太歳神
大将軍、大陰神、歳刑神、歳殺神、歳破神、黄幡神、豹尾神です。
おれらの神々が日本の神仏と習合していまになっている。

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↑五社、向かって左から、長者神(金運の守護神)・大物主神(交通の守護神)・菅原道真公神(学業の守護神)・稲荷神(産業の守護神)・事代主神(商売の守護神)

境内には、色んな社がある。
これは、神道の神と習合したけっかのものでしょうね。
それが明治時代になり、もっと極端になっていった。
国の方針に沿った宗教にして、怪しげ考えから?を無くして、戦争をするために思想統一を考えたのでしょう。

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↑三社、向かって左から、猿田彦神(導開の守護神)・宗像三女神(芸事の守護神)・命婦神(女性の守護神)

まだ書き切れていない神様もあります。
本日書き出した神様だけでも、御利益がいっぱいですね。
きっとお参りする人対応なんでしょうね。
まあ、お賽銭を集めないと神社も運営できませんからね。

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タグ:京都 社寺
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コメント 2

すー

おはようございます
伏見稲荷大社に行ってもいろいろな神社などがあり、興味をそそられるので、調べてみたくなりました。
by すー (2022-05-14 08:09) 

京男

>すーさん、おはようございます。
小さな社も意味があって設置してあります。
調べると面白いですよ。
by 京男 (2022-05-14 08:25) 

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