SSブログ

三条河原 [風景]

DSC01234.jpg
↑三条大橋

DSC01235.jpg

千年〜五百年ぐらい前の鴨川は、新京極商店街のあたりが河原だったそうです。
昔、鴨川ってよく氾濫しららしい。
白河法皇は、自らの意のままにならない「天下三不如意」に挙げたそうだ。誰もがかしずく権力者にも、武装した僧兵やサイコロは言うことをならないと嘆いたらしい。
それほど、鴨川は氾濫していた。
散髪屋の話しによると五条大橋近辺でも、よく水が浸かったらしい。確かに大雨になると鴨川の表情が変わります。
だから、流れの場所が変化しても不思議でない。

DSC01240.jpg
↑そろそろ立て替え工事の時期です

DSC01244.jpg
↑いまの防腐加工した木材ならこんなにならないだろうな

この三条大橋は、1950年に完成しらそうです。
なんや結構新しいのね。
でもそろそろ掛け替えだけど、大変だろうな。赤字財政の京都市。
工事する時は、御池の橋が三条大橋のかわりになるのだろうか?

DSC01246.jpg

橋のたもとに、『東海道中膝栗毛』の主役である弥次郎兵衛と喜多八の像が、1994年(平成6年)に三条小橋商店街振興組合により設置されたそうです。
予算がなかったのかな?像が小さい。

DSC01248.jpg
↑西岸から東北を見る。比叡山が見えている。

DSC01236.jpg
↑東岸から西側を見る。向かって左が「ミンミン」三条店。右のお寺が瑞泉寺。

DSC01253.jpg
↑塀の向こうは墓地

DSC01250.jpg
↑塀の所に窓が開いていて、墓地が覗けます。

DSC01252.jpg
↑このあたりで豊臣秀次の家族が処刑されたのです。
この瑞泉寺にいまも塚があるのです。

1595年(文禄4)豊臣秀次(ひでつぐ)の自害後、秀吉が秀次の妻子や侍女をこの河原で処刑したことは有名。
原因は、諸説あります。一つは秀吉公の愛妾淀の君に秀頼が生まれ、
秀次公は実子を盲愛する秀吉公からうとまれた。石田三成らの奸計によるものとする説。秀吉のすすめる朝鮮征伐に秀次公が異を唱えたからとする説等々。
秀次が生きいたら、歴史は大きく変わったかも。
処刑後の以外を穴に、大きな塚が出来た。その塚の後に禅林寺派瑞泉寺ができたそうです。
その他、石川五右衛門もこのあたりで釜ゆでになったのかも。首を晒すのもこの当たりです。
この当たりでデート楽しんでいるカップルがたくさんおられる。霊が見えなくてよかったですね。

DSC01256.jpg

三条大橋西北にあるお店。
こういう雰囲気の建物がこのあたりにはよく似合います。

和菓子

和菓子

  • 作者: 中村肇
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2018/01/22
  • メディア: 単行本


↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

過去の記事をご覧になりたい方はこちらからどうぞ↓
※「京男雑記帳1」へは、この文字列をクリックすると移動します

Twitter→@kyo_otoko
タグ:京都 風景
nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:地域

nice! 3

コメント 2

すー

こんにちは
>予算がなかったのかな?像が小さい。
その頃の日本人の平均身長が150cmほどだったとか、それに合わせて造ったとも聞いたことが有りますが・・・でも小さいですね。
by すー (2022-05-25 13:20) 

京男

>すーさん、こんにちは。
像の高さは低すぎますね。ホビット族なのかも。
by 京男 (2022-05-25 15:53) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

大将軍神社東三條社2藤森神社 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。