おしょらいさん、いらっしゃい [社寺]
↑六道珍皇寺
気が付いたら7日からお盆の行事が開始している。
お盆の行事に必要なのは「お精霊さん(おしょらいさん)」を向かえに行くことからはじまります。
お精霊さんを家に向かえ、16日の五山送り火で帰ってもらいます。
その間は、先祖や近親者の霊と暮らすというものです。
ちょっと前まで、お精霊さんを迎えに行くのは、東にある「六道珍皇寺」と西にある「引接寺(通称、千本ヱんま堂)」の2箇所だと思っていた。
なぜ二箇所なのか?
京都の大きな墓地が二箇所なんです。
東の鳥辺野(とりべの)、西の蓮台野(れんだいや)、もう一箇所はあるにはある化野(あだしの)です。
規模からいうと東の鳥辺野と西の蓮台野が昔から大きい。
平安時代からそうなのです。
鳥辺野→六道珍皇寺、蓮台野→千本ヱんま堂となります。
京都の地名に千本通というのがある。
それは、千本の卒塔婆を建て供養したことから「千本通」となったのです。
↑高野槙が売っています
昔は、葬送の場というのは、風葬だった。
死体をそのあたりに置いたそうです。
鳥辺野も鴨川から清水寺の南側の一帯が風葬の地だったのです。
火葬もなし、ゴミのように棄てていたらしい。
そりゃ疫病も流行りますね。死体累々ですから。
火葬や土葬は江戸時代ぐらいになってからなのかも。
もちろん、貴族なんかは違います。
庶民の話です。
中には病気で瀕死状態でも棄てられたそうです。
平安時代ってそういう感じだった。
怖いでしょ。
だから都中、悪臭と疫病が蔓延していた。
だから祗園祭のようなこともしていたのでしょうね。
↑迎え鐘を撞きます。独特の音なんです。
最近は、他の寺でもお精霊さんを向かえる作業をしてくれるようになった。
商売ですからね。
さて話を六道まいりに戻します。
7日から10日まで六道まいりをしています。
この間にお精霊さんを呼びに行くのです。
初日の7日は台風5号の影響でとても呼びにいく状態でなかった。
8日の昼間に行ってきました。
7日に来られなかった人たちがおられた。
↑戒名、俗名を水塔婆に書いてもらう
手順は、下記の通り
六道まいりに行き、お精霊さんをお迎えするのですが手順がある。
1.高野槙(こうやまき)を買う
2.本堂前で先亡の戒名、俗名を水塔婆に書いてもらう
3.迎え鐘を撞く
4.水塔婆を線香で浄める
5.地蔵尊宝前において高野槙にて水回向の後、その場所に納める
こんな手順です。
↑お線香の煙で清める
これでお精霊さんが各家庭に来てくれます。
そして16日五山送り火であの世にお帰りになる。
だから、お盆にお墓参りをする家庭がありますよね。
あれは間違いかも。
墓地は、空き屋状態なんですから。
違うのかな・・・。
お墓ってなんやろ?
↑高野槙にて水回向の後、その場所に納める。お精霊さんを家につれて帰る時、どうやって持って帰るのかな?自動的に家の仏壇にワープするということなのかな?依り代みたいなものは必要ないのかな?
昔は、遺骨を納める場所と拝む場所と別だったりしますよね。
どうなんやろ。
最近、若い世代であの世を信じている人が増えているらしい。
ちゃんと頭の中を整理した方がいいのかも。
社寺もチャンとアナウンスしてあげた方がいいかも。
商売もいいけど、心の不安を取り除くのが役割だと思うんやけど。
ここに来られている人たちも案外、わかっていなくてやっているだけかも。
あと10年もたったら、呼ばれる立場の人も多いように見えます。
次世代にちゃんと伝えられているのだろうか。
難しい問題ですね。
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをします。詳しい説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
過去の記事をご覧になりたい方はこちらからどうぞ↓
※「京男雑記帳1」へは、この文字列をクリックすると移動します
Twitter→@kyo_otoko