街中で [社寺]
↑ビルと融合しています。こういうのは京都市内で結構あります。
京都市内の繁華街といえば四条河原町。
よくみると繁華街の中心に小さな社寺がたくさんある。
原因は、1590年豊臣秀吉が応仁の乱で荒れ果てた京の都を再建したのが原因。
秀吉が寺院を都の東部に並べた理由は東から攻め込められた時に盾代わりにするためだったとも伝えられている。
寺町通という南北の通りに小さな社寺を並べたのです。
だから四条通の西側には、お寺が多い。
お寺があるから墓地も多い。
いま、その墓地の上にホテルやマンションが建ちつつあります。
↑牛もいます
本日の火除天満宮もそんな街中の神社です。
場所は、高島屋の寺町通から駐車場に入る場所にある。
ビルと一体化しています。
こういう神社形式は、街中でよく見かけます。
歴史は、下記の通りです。
1579年(天正7年)に九州での兵乱を避けるため、筑紫国大宰府から一人の老神官が菅原道真の像を背負って入洛し、六条通周辺に祀ったのが始まりといわれる。
1587年(天正15年)烏丸二条に大雲院が創建されるとその鎮守社として移転し、1597年(慶長2年)豊臣秀吉の命により大雲院とともに現在地に移された。なお、1973年(昭和48年)に大雲院は京都市東山区祇園町南側に移転している。
1864年(元治元年)の蛤御門の変では、この一帯だけが奇跡的に類焼を免れ、これまでの京における度重なる大火でも類焼をまぬかれたことから学問成就とともに火除の神として多くの信仰を集め、正式名称は天満宮であるが「火除天満宮」と称される。
そういえば、すぐ近くに錦天満宮もありますね。
天神さんは、御利益が多いのかも。
知恵、学問、商才、招福、災難、厄除け等々。
この火除天満宮は、火除けに特化しているようですね。
狭い京の都は、火事が一番怖かったのですね。
火事の原因と言えば雷、雷といえば天神さんですから。
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