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なんちゃって鏡開き [甘味・その他]

「鏡開き」は、お正月に飾った鏡餅を提げ、お汁粉やお雑煮などにして「食べる」行事。一年間の家族の無病息災を祈って行われる。
鏡餅は、歳神さんへのお供えもの、それを開き・・・切るというのは切腹を想像されるから開くという・・・食べる。
硬くなったお鏡を刃物を使わずに開けるのか?
ようわかりません。

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「鏡開き」の時期が関東と関西で違うのをご存知?
関東が11日、関西が15日なんです。
だから「松の内」つまりお正月というのが関東では11日、関西では15日までと違うのです。
もっとも最近1月15日というのが、国が連休にするということでいい加減になった。こんなことをするから最近ケジメがなくなっていると思う。
年末から連休ばかり。だらだらと意味のない休みが続いている。人々は、意味もなくゾンビのように社寺や街をウロウロする。
ウロウロしたらお金も使うだろうという国のエライ人の考え。
勤労を苦痛と考える人が多いのかな?それって奴隷の発想だと思う。

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しかもケジメがない。
「ハレ」がなくなり、オール「ケ」の状態。
最近、社寺の行事も土日でないとヘルプしてくれる人が集まらない。
だから左義長だって成人式だって土日にする。
合理的なんだけど、心がない、育たない。
なんて考えたりもする。
でも私も偉そうなことを言えないか・・・。

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本日の写真は、昨日の焼き肉の続き。
父親と口直しを食べに行った。
焼き肉屋さんのデザートはなんか食べたくなかった。
本日のような和風がやっぱりいいかも。

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↑月ヶ瀬「亀山」

父親は、結構お腹がいっぱいになっていたと思う。
でも別腹なんだろう。食べていた。
父親はお餅が好きなようである。
世代的なものなのかな?
昔は、お餅ぐらいしか食べるものがなかったのかも。
いまは、お菓子なんて食べ放題でしょうけど。

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母親は、あまり甘い物を好まなかった。
家が和菓子屋だったからでしょう。
母親の祖父は、甘党だったのです。
あの母方の実家では、1人1本ぐらい羊羹が当たり前。
おはぎは、永楽屋の大きいサイズだった。
あれは、怖かったな。

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↑「抹茶あわぜんざい」

父親と母親は、町内が隣同士だった。
だから小さい時から面識があったと思う。
ひょっとして憧れだったのかもね。

妹が生まれた時、いつも母親の実家に預けられていた。
お正月前に、たくさんのお餅があったのを今でも憶えている。
町家の窓から通りをよく見ていた。
その時の匂いのようなものをいまでも憶えている。
お鏡は、鏡開きの頃には、カビが生えていた。
水餅・・・といい水につけてカビを落として食べさされた。
あのカビの味が嫌いだった。
科学的にいうとカビの生えた餅は、奥の方まで根がはっている。
表面を水につけてふやかし、削っても根は残る。
あのカビは、強い発ガン性物質なんです。
一度カビの生えた餅は、焼いても毒性は消えません。

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でも冷蔵庫のない時代は、それ以外でしか対応できなかった。
お節料理だって古くなったのを火入れをして繰り返し食べさされた。
私は食べなかったけど。
高山の人に、向こうはぼた餅を祭の時とか宴会の時に必ず作る。昔は、それが残り、表面がズルズルになったぼた餅を囲炉裏の火で焼いて食べさされたらしい。
怖いことです。

チーズの青カビは好んで食べるのに、お餅やミカンの青カビは食べられない。
不思議ですね。

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  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
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タグ:甘味 京都
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