善哉善哉 [甘味・その他]
昨日は、天気予報的には雨の予報だった。
でも、ちょっとした作業が外部で必要になる。
仕方ないなぁ・・・。
↑カラフルなメニューが増えましたね
でも昼ぐらいには、雨が止むような・・・。
天気予報なんていい加減なものだ。
自分で降らないと決めたら、酷い状態で雨に遭わないだろう。
そう感じる。
そういう時は、自分の直観を信じます。
もちろん、傘は持っていきません。
それがお昼だった。
郵便局にも用事があったから、取りあえず東福寺の方に歩く。
そこで梅香堂の前を通る。
「そういえば最近、善哉を食べてないなぁ」と思ったら。
フラフラとお店にはいる。
まさかランチ時に甘党の店が満席というのはないだろう。
予感は的中し、席が空いていた。
↑お餅が2個
カラフルなメニューがあります。
きっとインスタ云々でパフェやホットケーキを食べる人が多いんだろうな。
一番地味な「ぜんざい」と決めておりました。
ランチの代わりということでおもちを2個にした。
昔の私なら考えられない選択だと思う。
でもシンプルな小豆の甘さと香ばしく焼いた餅がなんともいいんです。
最近、邪魔くさいのか焼いた餅でなく白玉のお店が多い。あれは邪道だと思う。
もちろんタピオカもね。
妙に満足するのです。
頭の中で「善哉善哉」と呟いておりました。
それと弘法大師の十住心論の中にある「少(すくな)き分(わか)ちて甘を割(さ)く者(もの)は、居然(きっぜん)としてこの身(み)を脱(のが)る」が浮かんだ。
少しの食物やおいしい物を分け与える者は、そのままにして、貧り惜しむ心の強い者が落ちるという餓鬼道からは逃れるであろう。
「自分さえよかったら!」と、貪欲にしばられ、世のため人のあめに財を使うことでなければ、その人はすぐに餓鬼道に落ちている。
いまの地球の大きな会社やエリート達は、みな餓鬼道に生きているのだろう。もうすこし自分以外のことを考えたらどうやろね。
ぜんざいは、甘かったけど、最後にあたまに浮かんだ内容は辛かった。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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