新緑の糺の森 [社寺]
↑下鴨神社を南から境内に入っていきます。
糺の森(ただすのもり)は、下鴨神社の境内に広がる原生林のこと。
現在は、12万4千平方メートル(東京ドームの約3倍)の面積なんです。
でも応仁の乱以前は、約495万平方メートルの広さがあった。なんと今の41倍の広さだった。
特に1470年(文明2年)6月14日に応仁の乱の兵火で総面積の7割が焼失した!
応仁の乱って本当にすごい戦いだった。
応仁の乱って?
応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年間にわたって継続した内乱。
室町幕府管領家の畠山氏、斯波氏の家督争いから、足利将軍家や細川勝元・山名宗全といった有力守護大名を巻き込み、幕府を東西2つに分ける大乱となり、それぞれの領国にも争いが拡大した。
明応2年(1493年)の明応の政変と並んで戦国時代移行の原因とされる。
11年に亘る戦乱は、西軍が解体され収束したが、主要な戦場となった京都全域が壊滅的な被害を受けて荒廃した。
応仁元年(1467年)に起きたことから応仁の乱と呼ばれるが、戦が続いたことにより、応仁はわずか3年で文明へと改元された。
京都人が「前の戦争」という場合、大東和戦争のことでなく応仁の乱のことをいいます。大東和戦争で京都市内は燃えていませんからね。
笑い話のように思われるでしょ。結構マジです。
先日の「京都人は新撰組が嫌い」というのも本当です。
↑こんなところで立ちションする人がいる?
ただし、最近は、京都市の中心部に住む人が少なくなってきて、そういうことは少なくなってきたかも。
京都語(御所ことば・室町商家ことば・西陣の職人ことば・祇園花街ことば)も話せる人が減りました。祇園花街ことばは、営業用でしゃべっている。そのしゃべっている舞妓さんは他府県出身者が多いのです。
京都語は、小学校で教えないといけないと思う。英語なんてしゃべれても役に立たないしね。おそらく外国語は、自動翻訳機が発達すると思う。
京都人なら京都語で考え、話せるようにした方がいいと思う。
そうしたら他府県の人が京都市内に来たら他府県の人って分かりますね。これは江戸の隠密対策にいいだろう。
生で喋れるというのがこれからの特技になっていくだろう。
糺の森に話しを戻しましょう。
京都市は、糺の森を応仁の乱以前に戻したらどうやろ?
市民は、地下に巨大都市を造って地上には大きな社寺や森にする。
都大路もしっかり復旧し、巨椋池も元の池に戻す。
巨大なテーマパークになる。
もちろん、京都市民は、着物で暮らす・・・。
鴨川だって死体累々状態になったりしてね。昔は、病気で死にそうになったら、生きてても鴨川に捨てたりしていた。そうなると疫病が流行ったりするかも。いまでも十分流行っているか・・・。
祇園祭も効かへんし・・・どうしたらいいかな?
今年(2021年)も祇園祭の山鉾巡行は中止らしい。7月なのに?オリンピックはどうするの?
まあ、いろいろありますね。
糺の森・清水寺の新緑紹介は続きます。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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