厄塚 [社寺]
さて須賀神社から歩いて吉田神社へ。
幼稚園や小学校の近くを歩く。
吉田山の急な坂を登ると吉田神社の大元宮につきます。
正式には、斎場大元宮。
案内を書き写すと
天神地祇八百万神をまつる大元宮を中心とし、周囲に伊勢二宮をはじめ、全国の延喜式内社3132座を奉祀する。
もと神職卜部(吉田)家邸内にあったのを文明16年(1484)吉田兼倶(かねとも)がここに移建したもので、吉田神道の根本殿堂をなすものである。天正18年(1590)神祇官八神殿も社内後方に移され、江戸時代より明治4年(1871)に至るまで朝廷の奉幣使派遣のとき神祇官代としてその儀式を執行した。
本殿(重要文化財)は慶長6年(1601)の建築で、正面八角に六角の後方を付し屋根は入母屋造・茅葺、棟には千木をあげ、中央に露盤宝珠を置き、前後に勝男木をおく特殊な構造をもっている。この形式は神仏習合(神道と仏教の折衷調和)、陰陽五行(万物は陰と陽の二気によって生じ、火木は陽、金水は陰、土はその中間にあるとし、これらの消長により大地異変・災事・人事の吉凶を説明)などの諸説を総合しようとした吉田神道の理想を形に現わしたものといわれる。
当社に参詣すると全国の神社に詣でたものと同じ効験があるとして、毎年節分の日を中心に前後三日間行われる節分祭には多数の参詣者で賑わう。
日ごろはひっそりとした場所なんですが、この日は屋台と人でにぎわいます。
おそらく普通の時は入れないのですが、節分の時はこの大元宮に入れます。
八角と六角のお堂で祈祷も受けられるようです。
大元宮正面に立つ厄塚は、参拝者の厄を負するという節分信仰の中心をなすもので、厄神や心に潜む鬼を塚に封じ込め、社殿と繋がった注連縄により八百万の神との感応を願い一年の健康を祈るものである。
昔の人は、何かにつけて厄神や心に住む鬼を封じ込めようとしたんですね。
いまの人は、この塚ぐらいでは収まらないほど、鬼がいっぱい心に住んでいるように思いますね。
↑方相氏木像
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幼稚園や小学校の近くを歩く。
吉田山の急な坂を登ると吉田神社の大元宮につきます。
正式には、斎場大元宮。
案内を書き写すと
天神地祇八百万神をまつる大元宮を中心とし、周囲に伊勢二宮をはじめ、全国の延喜式内社3132座を奉祀する。
もと神職卜部(吉田)家邸内にあったのを文明16年(1484)吉田兼倶(かねとも)がここに移建したもので、吉田神道の根本殿堂をなすものである。天正18年(1590)神祇官八神殿も社内後方に移され、江戸時代より明治4年(1871)に至るまで朝廷の奉幣使派遣のとき神祇官代としてその儀式を執行した。
本殿(重要文化財)は慶長6年(1601)の建築で、正面八角に六角の後方を付し屋根は入母屋造・茅葺、棟には千木をあげ、中央に露盤宝珠を置き、前後に勝男木をおく特殊な構造をもっている。この形式は神仏習合(神道と仏教の折衷調和)、陰陽五行(万物は陰と陽の二気によって生じ、火木は陽、金水は陰、土はその中間にあるとし、これらの消長により大地異変・災事・人事の吉凶を説明)などの諸説を総合しようとした吉田神道の理想を形に現わしたものといわれる。
当社に参詣すると全国の神社に詣でたものと同じ効験があるとして、毎年節分の日を中心に前後三日間行われる節分祭には多数の参詣者で賑わう。
日ごろはひっそりとした場所なんですが、この日は屋台と人でにぎわいます。
おそらく普通の時は入れないのですが、節分の時はこの大元宮に入れます。
八角と六角のお堂で祈祷も受けられるようです。
大元宮正面に立つ厄塚は、参拝者の厄を負するという節分信仰の中心をなすもので、厄神や心に潜む鬼を塚に封じ込め、社殿と繋がった注連縄により八百万の神との感応を願い一年の健康を祈るものである。
昔の人は、何かにつけて厄神や心に住む鬼を封じ込めようとしたんですね。
いまの人は、この塚ぐらいでは収まらないほど、鬼がいっぱい心に住んでいるように思いますね。
↑方相氏木像
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おはようございます。
この辺りが京男さんの昔の縄張りですね。
大元宮を初めて見たときにその形に驚いたことを覚えています。
by すー (2010-02-04 05:04)
おはようございます。
これが地元というところでしょうか。
観光客が来ない京都はいいですね。
いや、それでは食べれない人が出てしまいますね!!
by BPノスタルジックカーショー (2010-02-04 05:21)
>すーさん、おはようございます。
ここは、幼稚園ぐらいからの遊び場所なんです。
大元宮は不思議な建物でしょ。
本来の節分を守って欲しいと思いました。
by 京男 (2010-02-04 05:41)
>BPノスタルジックカーショーさん、おはようございます。
ここは、京都でも節分すぽっとなんです。人が多かった。最近、食べながら歩いているのがものすごく不快でした。危ないしね。人ごみで串ものを食べながら歩くのは。いつか事件が起こるだろうな。
自転車の暴走も怖かった。
京都は、本来の節分の格式をしっかり守っていかないといけないと思います。恵方巻なんてやっていてはいけないな。大豆の豆まきでしょ。
ピーナッツの袋詰めじゃなく。
by 京男 (2010-02-04 05:44)
節分と言えば吉田神社ですね。
と、言いながら行った事がないんです^^;
大元宮は特徴があるんですね~
by guran (2010-02-04 06:57)
>guranさん、おはようございます。
小さい時は、こずかいを握りしめ、屋台巡りをしていました。
芭蕉せんべいが好きだったな。最近みかけないな。
いまは、大人買いできるようになったけど、あの匂いがものすごく悪臭に感じるようになってしまった。残念。
雑踏でいい歳をして食べながら歩く男女にも閉口します。
吉田神道は憑き物落としが得意という流派なんだそうです。この大元宮の六角形の方の建物で行われていたそうです。いまはどうかしりませんが。
by 京男 (2010-02-04 07:57)
おはようございます。
厄も邪気も不況も皆封じ込めたいですね。
最近、厄年の年齢がふえていませんか?
昔からはあったのでしょうが、ホントに節目
位だったのが、一覧表まで貼ってあったりして。
なんか陰謀が見え隠れしています。
by pomme (2010-02-04 08:37)
>pommeさん、おはようございます。
いま世の中は厄だらけかもしれませんね。
膿だしの時期。まだまだいっぱい膿がでてくるだろうな。
「厄年」は、「役歳」だと思う。
世の中の「役に立つ歳」。各々の年代にあわせて、社会のために貢献するといいんだろうな。
なにも神社やお寺で祓う必要なんかない。自分の生き方の問題だろな。
by 京男 (2010-02-04 09:33)
吉田神社といえば節分、京都で節分といえば吉田神社。
って言うくらい有名ですよね。地元TVやFMでも
うるさいほど紹介するし・・・
一度は行ってみたいのですが、大勢の人でしょうね。
by 路渡カッパ (2010-02-04 10:26)
年5回ぐらい 京都に行っていたこともあったのに。。
まだ お参りしていません。。注連縄すてきです∩(´∀`)∩
by 風の子 (2010-02-04 10:30)
こんにちは~。
節分の吉田神社さんは賑やかね~。
いつ行ってもひっそりとしてて静かなのに。
我が家地方では長田神社さんが節分祭で賑やかね。
by ぽちくん (2010-02-04 10:48)
こんばんは。
恵方巻きやらバレンタインやら、何だか日本の文化が変わってしまったようです。もう少し原点に戻って伝統を守っていきたいです。
吉田神社にも一度行ってみたい。
by さっちゃん (2010-02-04 21:36)
>路渡カッパさん、こんばんは。
そんなにKBSとか京都のFMでやっていたのですか。
人がいっぱいできっとうんざりしますよ。
自爆テロはないだろうけど。群衆は怖いかもね。明石の陸橋のこともあるしね。
by 京男 (2010-02-04 22:16)
>風の子さん、こんばんは。
こういう様式美は凛としていいですね。
気分が引き締まります。
by 京男 (2010-02-04 22:16)
>三女のぽちママさん、こんばんは。
この時間帯はまだいいのですが、ダンダンひどい人ごみになります。
屋台の匂いが苦手になったからこういうのは辛いな。
by 京男 (2010-02-04 22:18)
>さっちゃんさん、こんばんは。
人は多いけど、節分の理由を理解している人は少ないだろうな。
原点に帰った方がいいのかもしれませんね。
巻きずしの山積みをみてゾッとしました。
by 京男 (2010-02-04 22:19)
カッコいい建物ですね。
by ゴーパ1号 (2010-02-04 23:05)
>ゴーパ1号さん、おはようございます。
屋根の感じが好きですね。凛とした空気が漂ってくるし。
by 京男 (2010-02-05 07:21)