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かま風呂は古式サウナ [おもたせ]

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↑大原女家「かま風呂」

先日、京女の母君から大原女家の「かま風呂」をもらった。
これも昔からあるお菓子。
でも食べたことはほとんどなかった。
この大原女家も店舗改装後は喫茶がなくなった。
すーさんならきっと恐怖する「甘党会席」というのがありました。
松(2500円)と竹(1800円)もしていたのがいまでも憶えている。
惜しいなご招待したかった。

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↑上が白あん、下が黒あん

かま風呂といえば京都市左京区八瀬周辺にある日本古式のサウナ。
大きなかまくら型の竈の中に入り蒸気浴をする。
天武天皇(631〜686)が若い頃、流れ矢に当たり、この地のかま風呂で癒したのがはじまりなんだそうです。飛鳥時代やんか・・・その時京都の都はなかった。
京の都は、794年やものね。その頃の八瀬ってそうとう山奥だっただろうな。

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昔は、「風呂」というとサウナのような蒸気浴のことをいっていた。
湯や水で体を洗うことは「沐浴」と使い分けたらしい。
大きな湯船でというのは、温泉が天然に湧いているところぐらいだったかも。

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↑ちょっと遊んでみました

私は、かま風呂には入ったことがないんです。
現在も八瀬にかま風呂に入れる旅館があります。
入浴だけじゃだめみたいだけど。

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↑建仁寺浴室/これも中は蒸気浴

子供の時は、八瀬遊園のプールに、よくに泳ぎに行った。
水が冷たかったな。
この八瀬は、比叡山へ西から登る入口の叡山電鉄叡山本線の終着駅。
駅名が「八瀬」→「八瀬遊園」→「八瀬比叡山口」と変化しました。
この駅前にあったのが八瀬遊園。

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↑泉湧寺浴室/これも蒸気浴

小学校ぐらいまで八瀬遊園がすべてだった。
秋は、ひらかたパークに菊人形を見に行くというのもあったけど、かなり遠いイメージだった。
その「八瀬遊園」も「スポーツバレー京都」になり「森のゆうえんち」となり
2001年に閉園になった。
まだ、長女次女が小さい時に私の両親と我々夫婦で車で遊びに行ったのが最後だろうな。
あの時、私が最初に買った携帯電話を子供コースターに乗って落とした事件をいまだに憶えている。高かったんです。当時の携帯電話。ということは、スポーツバレー京都の時代かな。
なんか京都人にしかわからない雑談でした。
八瀬比叡山口駅地図
タグ:お土産 京都
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松風や・・・ [おもたせ]

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松風というお菓子は、茶道とは縁が深い。
美味しいんやけど、意外と一般には知られていないかも。

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松風って清水寺の西国三十三個所の御詠歌に出てきます。
詠みます(吟じます風言い方)
「松風や 音羽の滝の 清水を むすぶ心は 涼しかるらん」
まつかぜや おとはのたきの きよみづを むすぶこころは すずしかるらん

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松風(まつかぜ)は、松林にうちつける風。日本の古典文芸において「松風」(まつかぜ)は、
うら(=浦)寂しい海岸の情景を表すものとして用いられた。
この場合「待つ」の掛詞として使われているのかも。

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この味噌松風は、和風カステラのような外観。
西京味噌の香ばしさとあっさりとした甘味は、茶人好みね。
カステラのように柔らかくなく、モチモチとした食感。
このお店、創業承応年間なんだそうです。
この味噌松風は、大徳寺の江月和尚という人が考えハッタそうです。
この松屋常盤の「味噌松風」は、予約が必要なのでなかなか手続きが必要。
地方からのお客様が来られるので予約してみました。
私の母親も好物なのでいっしょに予約。
自分用にもひとつ確保しました。

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松風という名前は、謡の「松風」に由来するそう。
(実際に聴いたことがないのでようわかりません)
「浦寂し、鳴るは松風のみ」という一節を、裏に焼き色が付かないので寂しい
ということにかけた、いわば言葉遊びなんですって。

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タグ:京都 和菓子
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幽霊飴 [おもたせ]

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今日までですが、六道詣りの時に買うのが「幽霊飴」
みなさん「幽霊飴」を知ったはったりますか?
正式な名前は「幽霊子育飴」
なんか陰気な感じの飴だと思うでしょ。
お土産にもらったら微妙やね。
美味しいなさそうな感じ。でもとってもやさしい味。
ちなみにこの飴は、年中売ってハリます。
由来は、なかなかいい話なん。
以前に書いたのをリピートします。

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こんなお話しです。
六道珍皇寺の門前に飴屋がありました。ある夜に表の戸を叩く音で出てみると青白い顔をした女の人が一人立っていました。「えらい夜分にすんませんけど、飴を一つ売っておくれやす」そう言って一文銭を出した。次の日も、また次の日も同じ時分に来る。それが六日連続で来はったそうです。
店の主人が「明日来なんだら、普通やないで」家人が「なんでですねん」「そりゃそうやろ。人が死んだ時、六道銭言うて三途の川の渡し料やいうて銭を六文棺桶に入れるんや。それを持ってきてるんと違うやろか」

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七日目の夜、また女の人が来て「実は今日は、お足がございませんが。飴をひとつ……」と言う。主人は「よろしおす」と飴をひとつ渡すと女性は立ち去りました。主人はそーっと後をつけていきました。すると二年坂、三年坂を越えて高台寺の墓地へ入っていくのです。そしてひとつの塔婆の前です〜っと消えたのです。耳を澄ますとどこからか赤ん坊の泣き声が聞こえて来る。おかしいと思った主人は、墓守を呼んでその女が消えたお墓を掘ってみることにしたのです。ザク、ザク、ザクするとコツン。棺桶が出てきました。恐る恐る開けて見ると、お腹に子供を宿したまま亡くなった女がでてきたのです。しかも棺桶の中で元気な赤ん坊が生まれていたのです。母親の一念で飴を買いもとめ、赤ん坊を守っていたのでしょう。
不憫(ふびん)に思った飴屋の主人がこの子を育て、後にこの子が高台寺の坊さんになったというお話。母親の一念で一文銭を持って飴を買うてきて、子供を育てていた。それもそのはず、場所が「コウダイジ(子を大事→高台寺)」。
七日目にもうお足がない。この事件以来、幽霊には足がないのだそうです。
お後がよろしいようで……。

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怪談といえば先日、シネマ歌舞伎の「牡丹燈籠」を観てきました。
最近は、知らん人が多いかもしれませんね。
他の怪談もそうだ。「皿屋敷」「四谷怪談」だってよくストーリーがわからんもの。
幽霊のお露とお米より、生きているお国やお峰のもっている人間の業の方がよっぽど怖い。
昨今のニュースを見ても、この世の事件の方がよっぽど陰惨で怖いな。
いまに幽霊や妖怪たち、この世が怖くて出てこなくなるかも。
この世は、ひょっとしてある種の地獄(監獄)じゃないかと思うときがあります。
UFOが地球に現れているのも、宇宙人が怖いもの見たさに観光に来ているのかも。

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タグ:京都 幽霊飴
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