清水寺風景2 [社寺]
↑馬駐、これも重要文化財です。いまでいう駐車場ですね。将来、駐車場が重要文化財になるのかも。昔、車というのがあってそんなモノに乗っていた時代があったんだ!なんてね。
これは、明治初期の測量の基準点のための標石。
明治になり正確な地形の測量をするために設置したらしい。
英国の測量技術に学んだものらしい。
京都市内は、江戸に首都が移動したから没落してきた。だから疎水工事とか電気、下水上水を整えた。
古都のイメージが近代風に変化した。
建物も洋館と和風建築が混在し、市電が京都市にを走った。
京都市内にとって面白い時代だったのかも。
それから大東和戦争で空襲にあわなかったので、いまだに道幅が狭い。
いいのか悪いのか・・・。
街中の醜い電線も、京都らしい景色なのかも。
↑観光客がいないでしょ!昼ぐらいの時間なのに・・・。
それと明治3年に起こった「廃仏毀釈運動」の嵐はすごかった。
京都市内から地蔵さんがなくなった。清水寺にお地蔵さんが多いのは、その時保護?されたお地蔵さん。
市電の敷石にされたお地蔵さんも多かったらしい。
その頃、海外に仏教美術が流出したらしい。
↑基準点標石
地方に行くとお寺がない所があったりする。
その時代の影響らしいのです。
京都市内は、社寺が多い。
でも宗教というより「遊山(観光?)」的な正確が強いように思います。
家庭から神棚や仏壇が姿を消しつつあります。
だから日本人は無宗教とは言いがたい。
それもいいのかも。
でも「いのち」のことは、しっかり考えた方がいいのかも。
次世代の課題なのかも。
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こんにちは
>京都市内は、江戸に首都が移動したから没落してきた。
京都人も焦ったでしょうね。
>市電の敷石にされたお地蔵さんも多かったらしい。
清水寺には確かに石仏が多くありますね。
by すー (2021-05-19 12:51)
>すーさん、こんにちは。
石仏を保護したのは、若き日の大西良慶和尚でした。
by 京男 (2021-05-19 13:55)