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そめどのさん [社寺]

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↑新京極から見ると入り口はこんな感じ。四条通からすぐなんです。

ここは、新京極の入り口にある地元では「そめどのさん」と、親しまれている「安産祈願」のお地蔵さん。
目立たないけど歴史が1000年ぐらい詰まっている。
おそらく京都に観光にきたら前を通っていると思います。
街中の異界のように感じますね。
京都のこのあたりは昔は(今も結構あるけど)お寺が多いんです。
繁華街なのに裏にまわると墓地があったりする。
考えたら不思議。

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↑ちょっと入るだけで空気が変るのがすごい

染殿院の沿革(看板から書き写しました)
染殿院は大同3年春(808)空海(弘法大師)の開基にして入唐帰朝の後、当院に留まり十応心論を清書調巻されたことから十住心院と称した。
古往(おうこ/むかし)は、釈迦院或いは敬礼寺又は清和院釈迦堂其他釈迦堂(鎌倉期の一遍聖絵巻)とも呼ばれた。
本尊は地蔵菩薩にして高サ2m余の木彫裸形の立象にて秘仏である。

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ここが安産の守護となったのは人皇55代文徳天皇(850〜858在位)の后・藤原明子(藤原忠仁公の息女)は天皇より一手にその寵愛を受けていたが、ただ一つ皇子が授からない悩みがあった。
明子が懐妊するかどうかは彼女だけでなく、父良房の地位、ひいては藤原一門の運命がかかっていた。
※京男談/娘の懐妊で一門の運命が決まるなんて情けない話しやね。懐妊なら京男&京女の写真を持つといいのに。(笑)それなら京男地蔵になったかもね。

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↑知り合いにここで腹帯というというのを授かったのはきいたことがないな。たいていわら天神だもの。わが家もそうだった。

そんな折、四条の地蔵菩薩が子宝にご利益があることを聞きつけ、早速地蔵堂に参り17日の願をかけたところ、満願の日に明らかに懐妊の兆候があり、10月10日ののち明子は男の子を出産した。後の清和天皇である。
これが縁で宮廷において摂政関白を独占し藤原王国が築かれたのだった。明子が染殿皇后と呼ばれたのにあやかって、染殿地蔵尊と称された。
人皇62代村上天皇(946〜967在位)題3皇子一品式部郷久賀為親王は、四條中川のあたり(中川は御所より今の寺町通りに流れていた川)境域広く家造りされた。
染殿地蔵堂も自然にこの内に含まれ、御願寺となって皇子を染殿親王と申した。

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66代一條院永延元年(987)に東大寺沙門奝然(ちょうねん)が入宋帰朝し赤旗檀の釈迦像を伝来し嵯峨野の清涼寺に安置されたが、奝然はまた自ら御丈三尺余の釈迦像一体を造り当院に奉納(金蓮寺霊宝庫に現存)これより四条京極の釈迦堂と呼ばれた。

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↑向こう側が四条通。甘栗の林万昌堂本店の店内になっています。よく考えたら不思議な構造だな。出にくいかも・・・。そういえば久しく食べてないな甘栗。

鎌倉期の一遍聖絵巻(国宝)に「弘安七年閏四月十六日関寺より四条京極の釈迦堂にいり給ふ。貴賎上下群をなして人はかえり見る事あたはず。車はめぐらすことをえざりき十七日ののち因幡堂にうつり給ふ。」 とある。
すなわち、一遍上人が大津関寺から入洛四条京極の釈迦堂にて念仏賦算をしたというのは、この寺のことである。
金蓮寺より釈迦堂の方が歴史も古く、一遍とのゆかりも深いのであるが、室町時代はどの寺社にも属しておらず、時の移りとともにその時代の権力者によって次から次にと護持伝来されてきたが、偶々足利義満が嘉慶二年十二月二十二日金連寺に寄進したため、本末転倒して金蓮寺の塔頭になった。

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『夢窓国師が苔寺(洛西西芳寺)の作庭に没頭したとき、この地蔵尊が一旅僧となって国師を助けたという伝え』
嵯峨天竜寺開山夢窓国師が松尾に西芳精舎(苔寺)を創し、泉水の美観を好み築山の構えを営もうとしたとき、石は重く大きく少しも動かなかったが、たまたま一人の僧が忽然ととして現れ、ただ一人で自由に大石を動かし、国師の意の通り庭園を作ったので、国師は歓喜のあまり何かお礼をしようかと思案したが、幸いにその僧は袈裟を持たないのがわかったのでこれを進じようと自ら着けていた袈裟を贈った。その僧はその袈裟を受け、錫杖を地に立てたまま消え失せたのである。

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↑新京極に出ると空気はもと通り

後日国師が四条の辺りに托鉢し、たまたま四条京極の染殿地蔵堂に詣り、御扉を開けて拝すると、先の袈裟は地蔵菩薩の肩にかかっており手に錫杖はなかったので、疑うところもなく件の僧はこの地蔵の化身であったことを知り、国師は感激の涙を流されたということである。
その錫杖は現在も松尾の西芳寺の地蔵院に残されている。
現存の染殿院の建造物は、元治元年(1864)に京都御所以南が大火に見舞われた(通称ドンド焼け)その時に建てられた假堂(かりどう)である。
「染殿地蔵院」地図

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タグ:京都 社寺
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コメント 14

すー

おはようございます
い~ここは知りませんでした。
さすが、博学の京男さんですね。
by すー (2010-08-28 05:41) 

ぎーこ

おはようございます。
この甘栗のあたりは良く通るのですが、
全然知りませんでした。
足を運んでみたいと思います。
by ぎーこ (2010-08-28 06:37) 

mayu

京男さん、お元気さんです^^

あぁ~甘栗のにおいがしてきそう・・・
交番とかある裏あたりかしら~?
本当によう通るのに立ち寄った事なので今度は是非、立ち止まってみようかな。
あんな人通りが多い裏に、こんな奥深いものがあるんですから行ってみないと♪

今日もまた暑くなりそうですね^^;


by mayu (2010-08-28 07:10) 

guran

子供の頃から何度も通ってますが、気が付いてないなぁ~
一歩中に入ると別世界って感じがいいですね。
by guran (2010-08-28 07:17) 

京男

>すーさん、おはようございます。
ここは街中過ぎて盲点になりますね。気付かない人も多い。
昔の京都の状態がちょっとわかって面白いでしょ。
by 京男 (2010-08-28 08:14) 

京男

>ぎーこさん、おはようございます。
この場所は絶対通りますよね。でも気付かない不思議な場所です。
一度のぞいてみても面白いかも。
by 京男 (2010-08-28 08:15) 

京男

>mayuさん、おはようございます。
そうです。交番の裏側ですね。
一度のぞいてみるといいかも。
甘栗の方にいったらだめですよ。(笑)
by 京男 (2010-08-28 08:17) 

京男

>guranさん、おはようございます。
ここは京都人にとっても盲点かもしれません。
意外と気付かない。あまり入ろうと思わないしね。
by 京男 (2010-08-28 08:18) 

ゴーパ1号

ちょうちんが美しいですね。
by ゴーパ1号 (2010-08-28 09:06) 

pomme

おはようございます。
こんな所があるなんて、京都の
面白さですね。
でも、お宮さんが先で、そのあたりに
現代人がお店を作ったということ
ですものね。
大事に残してあるのがすごいです。

by pomme (2010-08-28 10:09) 

京男

>ゴーパ1号さん、こんばんは。
街中のお地蔵さんというのも不思議なものでしょ。
雑踏の異界という感じがします。
by 京男 (2010-08-28 21:10) 

京男

>pommeさん、こんばんは。
京都は街中にお寺が多いですよ。この辺りも寺町というぐらいだからお寺が多い。ちょっと裏にはお墓がいっぱい。ビルで造成すると墓石がでてくるそうです。
ファッションビルでももとは墓地というのも多い。大抵商売はうまくいきませんね。そういう場合。
by 京男 (2010-08-28 21:12) 

BPノスタルジックカーショー

おはようございます。

空気が変わる・・・とてもよく分かります。
気持ちだけではないんですね。

by BPノスタルジックカーショー (2010-08-29 04:11) 

京男

>BPノスタルジックカーショーさん、おはようございます。
ちょっと入っただけなのにね。京都は街中にこういうところが結構あります。ひっそり生き残っています。
by 京男 (2010-08-29 07:31) 

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