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水に流しちゃいけないよ [風景・和菓子]

五山の送り火の時、昔は、鴨川にお盆の供物を流していました。
日本人は、水に流すというのが当たり前だった。
「水に流そう」「年が改まった」とか。
外交でそんなことは通じないけど。
日本は、自然に恵まれているからそういう発想がでてきたんだろうな。
精霊流しだってそうだ。
流し雛もそうだ。
もちろん、いまは禁止されています。
でも橋のところに供物を置いたりしている地区もあるかな。
そのあたりの事情は、ひとつ前の記事参照。

P1040241.JPG
↑左大文字

この供物を川に流すというのは、施餓鬼の意味もあるのかな。
施餓鬼は、お盆の原形になったことらしい。
お釈迦さんの弟子に目連尊者という人が居た。
弟子の中で神通第一だった。ある日、亡き母親が餓鬼道の世界に居るのを発見。自分の能力で救おうとしたけど、どうしても痩せ細り、お腹だけ膨らんだ姿の母親に食べ物を与えることもできない。
お釈迦さんに、質問するとお釈迦さんは、「生前、他人の不幸を省みず、人をだまし、おのれの欲求のみに生きたからやね」
目連さんは「なんとかなりまへんか?」と言わはった。
お釈迦さんは「私のスイス銀行の口座に3億ルピーほど振り込みなさい。そうしたら水晶のどんぶり鉢をお渡しします。それでご飯をあげると食べられます。それから蜘の糸というのもある。それは別料金になる、欲しい?」と。
よく見ると別のお釈迦さんでした。
そこで本当のお釈迦さんのところに行った。
そこで「こうしたらいい」という方法がいまのお盆の行事の始まりなんだそうです。

P1040213.JPG
↑松葉杖がデジカメの支えになるのを発見

そのやり方の中で、お母さんだけじゃなく、誰にも供養して貰えない他の餓鬼も供養してあげるというのが施餓鬼というものです。
この説明、大体こんな感じやけど、坊さんじゃないから適切な説明じゃないかもしれません。

P1040222.JPG
↑鳥居形

かなり昔、ある方とお食事をご一緒させていただいたことがあります。
食事が終わり、その方のお茶碗を見るとご飯粒が一粒ついている。
二回目の時もそうだった。
私は、思わずその方に「なぜ、お茶碗にご飯粒を残しておくのですか?」と聞きました。一粒も残さないで食べると躾けられていたからです。
その方は
「餓鬼にお供えしているから」とお答えになりました。

P1040153.JPG
↑船形

ちょっとドキッとしました。
自分だけ、満腹になったらいいのではない。
食べたくても食べられない存在もいるのです。
その存在に対する配慮なんですよ。

その方のお顔がなんとも神々しかった。
こういうのってマネをしてみませんか。
子供にそういう風に躾けるのです。

P1160484.jpg
↑鶴屋吉信「ほおづき」

これから世界は、食料や水を奪い合う餓鬼道、また争いの修羅道のような世界になって行くことでしょう。
いま、ご飯が食べられることを感謝して、例え貧しくても、そういう気持ちに余裕をもつ人間にならないといけないように思う。

P1160509.JPG
↑外郎、白あん

いま巷では、ダイエットと騒いでいます。
不自然なダイエットは、心までやせ細り、常にイライラしている人が多いように思います。
人間は、他の存在の生命を食べないと生きられない悲しい存在です。
「私は菜食主義だ」と偉そうに言うホピ族の女性祈祷師と食事したことがある。
接待する方が困っていた。まな板や包丁も肉と別にしてくれと言ったのです。
私が見かねて「なら植物は生命じゃないのか?それを貴女は食べている。偉そうなことをいいなさんな」と言った。もちろん通訳付だったけど。
「(生命をあたえてくれた存在たちに、あなたの生命を)いただきます」でいいじゃない。東洋の考え方はそうだとね。(そうかどうかしらないけど)
彼女は、だまって野菜を食べていました。わかったんだろうか・・・。
※いまならそんないらんこと言わないだろうな・・・・。

ご飯粒の人の方がずっとずっと上ですね。

過去の記事をご覧になりたい方はこちらからどうぞ↓
※「京男雑記帳1」へは、この文字列をクリックすると移動します

Twitter→@kyo_otoko

タグ:京都 和菓子
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mayu

京男さん、おはようございます^^

水に流せたら…
ハハハ、そう簡単に流せたら楽なんですけどね、国も。。。
でもそうはいかないかしら(笑)?

送り火でしたね、市内も静かでしたね。
京男さんは自宅から見てたのですか?
夏ももう地蔵盆で終わりでしょうか?
それにしても残暑が厳しくて全然、秋の気配がしませんが、このほおづき、はぁ~いいですね~お菓子で季節感を味わえる、って幸せです♪
白あんも美味しいですよね^^
by mayu (2012-08-17 06:24) 

guran

おはようございます!
実家でも昔は川に流してましたね。
今はしてないですが。。。

京男さんちからも3つ見えるんですね!
鳥居形って低いのにいい角度なんだ^^
by guran (2012-08-17 07:10) 

京男

>mayuさん、おはようございます
日本人の水に流すという考え方は、素晴しいと思う。新年になったら新しくなるというのも。
京都の夏も終わりですね。
今年は、早く終わるのを願いますね。
早く冬にならないかな・・・。
生菓子で大文字テーマを探したのですが、職人のセンスがまったくだめで不採用でした。
by 京男 (2012-08-17 07:57) 

京男

>guranさん、おはようございます。
昔は、節分の豆も外に置いていましたね。
きっと量的にすくなかったのでしょう。
あと何年か経つとお盆という行事も存続が危うくなるかもしれませんね。単に観光的な要素だけになり、意味がわからない世代ばかりになるように思う。
裏山で見えるんです。
by 京男 (2012-08-17 08:00) 

すー

おはようございます。

京都の夏が終わりますね。
最近、この感じがやっと身についてきたかな?
by すー (2012-08-17 08:40) 

京男

>すーさん、おはようございます。
いまの子供でも、地蔵盆ぐらいになると夏休みの宿題を焦ってやりだすのかな・・・。私は始業式であった級友と答えの交換をしていましたね。夏の友の答えだけを手に入れたり。工作だけはしていましたね。丸物でいつも展示されていました。(笑)
by 京男 (2012-08-17 08:50) 

keiko

京男さんこんにちは。
昔からの風習が継続出来ないのはとても残念な気もしますが環境問題を考えたら仕方ないですね。
 
昨日は京都はかなりの賑わいだったのでしょうね?
京男さん、夜写真撮りにいかれたのですか?

今日の和菓子もいいですね。芸術ですね。しかも美味しそう!!(私いつもこのセリフ)

京男さんのお釈迦様のコメントも受けました。
by keiko (2012-08-17 11:31) 

京男

>keikoさん、こんにちは
昔は、鴨川に流したというのですが、どういう状態だったのかな?
裏の山から送り火は見えます。松葉杖をカメラの三脚的に使いました。
撮っている姿が悲しいかも。
生菓子のオフシーズンなのであまり選べないのです。送り火テーマの生菓子は見事にだめでしたから。あまりの稚拙さに笑ってしまいました。
お釈迦さんのコメント、うけていただいてありがとうございます。
誰も反応しなかったらどうしようかと思っていました。
by 京男 (2012-08-17 11:58) 

ゴーパ1号

こんにちは。
水晶のどんぶり鉢、重そうですね^^;
by ゴーパ1号 (2012-08-17 13:34) 

京男

>ゴーパ1号さん、こんにちいは
怪しいお釈迦さん・・・いまの日本にいっぱい居そうでしょ。
昔のインドってテレビとかないから、顔はわからないですよね。
「私が釈迦だ」と言っても否定しようがない。
そのトラブル、ドタバタがあったかもね。
by 京男 (2012-08-17 14:14) 

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