こんにちは、洪庵です [洛外]
緒方洪庵(おがた こうあん、1810〜1863)は日本の武士・足守藩士、医師、蘭学者である。大坂に適塾を開き、人材を育てた。
この適塾から福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人財を輩出した。
やっぱり教育が大事だな。
いまの教育では、人材を人罪(じんざい)にするシステムのように思える。
こざかしい浅知識をコンピュータのように記憶するのが優秀な人たちが多すぎる。
人材を人財に育てる技量がある教育者はきわめてすくないからだろうな。
この洪庵さんは、その点、すぐれた教育者だった。
福沢諭吉は、「先生の平生、温厚篤実、客に接するにも門生を率いるにも諄々として応対倦まず、誠に類い稀れなる高徳の君子なり」と評している。
また、福澤諭吉が適塾に入塾していた時に腸チフスを患った。中津藩大坂蔵屋敷で療養していた折に洪庵が彼を手厚く看病し治癒した。
諭吉はこれを終生忘れなかったそうである。
このように他人を思いやり、面倒見の良い一面もあった。
決して声を荒げるのでなく笑顔で教え諭すやり方で、これはかえって塾生を緊張させ「先生の微笑んだ時のほうが怖い」と塾生に言わしめるほど効き目があった。
いま、日本必要なのは緒方洪庵や吉田松陰のような素晴しい教育者が必要ですね。
少子化でもいい。質の高い人を育てた方が国のためだと思う。
人口が多い方がマーケットとして有望などと卑しい考えはそろそろ変えないといけないな。
こういう建物をみているとそう思いました。
適塾地図
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北浜に残る洋館 [洛外]
先週数回所用があり大阪に行く。
その時、北浜をちょっと歩くことがあった。
北浜の万年筆屋さんにインクを買ってから、次のうつぼ公園まで歩いた。
その途中、八木通商ビル(設計:国枝博 竣工:昭和4年)が目に留まる。
昭和4年の竣工か。
重厚なつくりの建物ですね。
いまの軽いペラペラしたビルとは違う。
こういうビルは、残しておいてほしいものですね。
大阪もこうやってみるといい建物が多い。
この後、適塾(てきじゅく)によりました。
その写真は、明日に。
ここは淀屋橋のところにあるカレー屋さん、一瞬入りかけた。
ギネス入りのカレーってどんなのかな。
でもこの日結局、夜まで食事を摂る時間がなかった。
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鰻一匹半の迫力! [洛外]
↑付きだしの鰻の佃煮
先週、いつもの三重の四日市方面に打ち合わせに行く。
珍しく朝から雨。でも傘は持っていってない。
高速バスの停留所までの間は、雨は止んでいた。
打ち合わせが終り、晩ご飯となりました。
この日は祭日で「つかさ」がお休みだけど、オープンしているとのこと。
またまたご馳走になってしまいました。
↑白菜のお漬物
いつのも「つかさ」へ。
いつもなら石焼まぶしとなるところですが
絵が同じで記事にならない。
そこでちょっと趣向をかえて「鰻重」にしてみる。
↑鰻重定食
この鰻重は定食になっていて
なんと鰻が一匹半!
普通ならご飯の間に入っているのでしょうが
このお店のは、別のお皿にのってくる。
すごい迫力でしょ。
帰りのバスの時間もあるし、ゆっくりも味わえない。
でもふっくらして美味しかった。
でもお腹がプンプクリンになってしまいました。
最寄りの駅からみた空。
朝から降っていた雨は止んでいました。
秋風もちょっと感じた夕方だった。
お腹が膨れて呆然としていただけかも。
「つかさ」地図
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