時を観じる [社寺]
↑仁王門、写真では、明るく映っていますが、まだ薄暗い。
↑清水寺「善光寺堂(首振り地蔵尊)」
昨日に引き続き清水寺の朝の景色。
5日は、早朝タクシーで清水寺に行った。
清水寺に行くためには、清水寺に近い高さから東大路通に下山し、再び清水寺の高さまで登って行かなくてはいけないのです。
普通なら、山に沿って行けばよいのですが、早朝では南門は開いていないのです。
森貫主の話を頭で反芻しながら、ゆっくり歩く。
すると色々なモノが見えてくる。
なんでもない石仏も愛おしく感じる。
全部じゃないのが不思議。
傳福禄寿といわれる石仏がある。
高札を書き写してみます。
傳福禄寿
清水寺縁起によれば奈良時代宝亀9年(778)音羽の滝一帯を中心として修行中の行叡居士より、大和の子島寺僧延鎮上人が霊水を嘱され、観音像を奉納し祀ったことにより当山の草創がある。
この石像はその頃、修行中の行叡居士のお姿として伝えられ、当時の仏教修行者は道教の熟達であったことが十分想像される数少ない資料の一つである。
しかし後世では、宝冠に似た頭布と広袖の衣、長髪の顎ひげをたらし右手に持つ錫杖、左手の経巻などの形から、七福神の一人、福禄寿として信仰を集め祀られてきた。
↑傳福禄寿
行く度に気付く景色が違うのです。
時間のベールが少しずつ剥がれてくるように観じる。
↑子安塔
↑綺麗になりました。一年ぐらい経つと色合いが落ち着いてくる。
本堂も三年後には、綺麗になるそうです。
それまで生きて居たら観に来るでしょう。
そして、その新し本堂も50年ほど経つとまた新しくなる。
その時は、確実にいませんね。
こういう所をあるくと面白い。
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早朝の清水寺 [社寺]
先日、早朝に清水寺に行った。
森貫主の法話を聞くためだった。
その時の話のダイジェストはそのうちまとめます。
いい話をたくさんいただいた。
↑これらのお地蔵さんたちは、明治の廃仏毀釈の時、京都市内から助けだされたのです。
聞いた後、早朝の清水寺を散策した。
歩きながら、話を反芻する。
その時間が好きなんです。
優しい気持ちになれる。
↑舞台から子安塔方面を見る。奥の山が豊国廟がある山。
↑舞台から音羽の滝を見る
私は早朝の清水寺が好き。
これが9時ぐらいになると聖から俗に変化する。
京都に観光に来られたら、早朝の清水寺に行くことをお勧めします。
寺の表情が全然違う。
↑この階段を降りた所が音羽の滝
↑早朝なら音羽の滝から水を飲み放題
早朝の弱点は、東山にあるので日の出が遅いのです。
光線的には、昼前ぐらいがいいのかも。
でもその時間帯になると外国語が飛び交う喧噪の清水寺になってしまいます。
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おしょらいさん、いらっしゃい [社寺]
↑六道珍皇寺
気が付いたら7日からお盆の行事が開始している。
お盆の行事に必要なのは「お精霊さん(おしょらいさん)」を向かえに行くことからはじまります。
お精霊さんを家に向かえ、16日の五山送り火で帰ってもらいます。
その間は、先祖や近親者の霊と暮らすというものです。
ちょっと前まで、お精霊さんを迎えに行くのは、東にある「六道珍皇寺」と西にある「引接寺(通称、千本ヱんま堂)」の2箇所だと思っていた。
なぜ二箇所なのか?
京都の大きな墓地が二箇所なんです。
東の鳥辺野(とりべの)、西の蓮台野(れんだいや)、もう一箇所はあるにはある化野(あだしの)です。
規模からいうと東の鳥辺野と西の蓮台野が昔から大きい。
平安時代からそうなのです。
鳥辺野→六道珍皇寺、蓮台野→千本ヱんま堂となります。
京都の地名に千本通というのがある。
それは、千本の卒塔婆を建て供養したことから「千本通」となったのです。
↑高野槙が売っています
昔は、葬送の場というのは、風葬だった。
死体をそのあたりに置いたそうです。
鳥辺野も鴨川から清水寺の南側の一帯が風葬の地だったのです。
火葬もなし、ゴミのように棄てていたらしい。
そりゃ疫病も流行りますね。死体累々ですから。
火葬や土葬は江戸時代ぐらいになってからなのかも。
もちろん、貴族なんかは違います。
庶民の話です。
中には病気で瀕死状態でも棄てられたそうです。
平安時代ってそういう感じだった。
怖いでしょ。
だから都中、悪臭と疫病が蔓延していた。
だから祗園祭のようなこともしていたのでしょうね。
↑迎え鐘を撞きます。独特の音なんです。
最近は、他の寺でもお精霊さんを向かえる作業をしてくれるようになった。
商売ですからね。
さて話を六道まいりに戻します。
7日から10日まで六道まいりをしています。
この間にお精霊さんを呼びに行くのです。
初日の7日は台風5号の影響でとても呼びにいく状態でなかった。
8日の昼間に行ってきました。
7日に来られなかった人たちがおられた。
↑戒名、俗名を水塔婆に書いてもらう
手順は、下記の通り
六道まいりに行き、お精霊さんをお迎えするのですが手順がある。
1.高野槙(こうやまき)を買う
2.本堂前で先亡の戒名、俗名を水塔婆に書いてもらう
3.迎え鐘を撞く
4.水塔婆を線香で浄める
5.地蔵尊宝前において高野槙にて水回向の後、その場所に納める
こんな手順です。
↑お線香の煙で清める
これでお精霊さんが各家庭に来てくれます。
そして16日五山送り火であの世にお帰りになる。
だから、お盆にお墓参りをする家庭がありますよね。
あれは間違いかも。
墓地は、空き屋状態なんですから。
違うのかな・・・。
お墓ってなんやろ?
↑高野槙にて水回向の後、その場所に納める。お精霊さんを家につれて帰る時、どうやって持って帰るのかな?自動的に家の仏壇にワープするということなのかな?依り代みたいなものは必要ないのかな?
昔は、遺骨を納める場所と拝む場所と別だったりしますよね。
どうなんやろ。
最近、若い世代であの世を信じている人が増えているらしい。
ちゃんと頭の中を整理した方がいいのかも。
社寺もチャンとアナウンスしてあげた方がいいかも。
商売もいいけど、心の不安を取り除くのが役割だと思うんやけど。
ここに来られている人たちも案外、わかっていなくてやっているだけかも。
あと10年もたったら、呼ばれる立場の人も多いように見えます。
次世代にちゃんと伝えられているのだろうか。
難しい問題ですね。
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台風が来るのに・・・ [食]
↑テレビを観ながらランチ
昨日から数日、京男Jr.2が里帰り。
いつもならランチは食べなくても食べても良い状態だけど、食事&買い物に出る。
昼前は、まだ台風の影響は少ないのです外出。
台風の情報は、テレビから情報を得ないのがコツかも。
自分の肌で感じるのが一番。
風雨が強い所の映像を映す、それもリアルタイムでない映像が多い。
あんなモノを見せられたら、正確な情報が掴めない。
テレビの情報は、どうも感情的すぎますね。
事実を正確に伝えてくれないとこまります。
↑日替定食が88円??
京阪バスで四条河原町方面を目指す。
さすがに乗客が少なかった。
五条坂陶器市は、今日は中止だろうな。
屋台は危ないですからね。
六道まいりはどうだろう?あれも今日は中止かも。
台風が来ることを想定していませんからね。
↑日替定食
↑いつも同じだと思っていたけど、やっぱり違うんだ。
ランチは、新京極のスタンドに行くことに決定。
京男Jr.2が言うには、こういう店は川崎で見かけないとのこと。
大正・昭和の香りがするお店ですからね。
最近、ちょっとガチャガチャした感じになってきたかも。
芸能人の色紙のせいかな・・・。あんなの止めたらいいのに。
お寺の千社札と同じぐらい醜い。
まあ、そんなことを思うのは私だけかもしれませんけど。
↑京男発注「豚生姜焼定食」
ランチを食べ終わり、次は高島屋へ。
買い物をしてから7階の先日人が一杯だった催しモノを見にいく。
台風なのに、お客さんが多い。昨日よりましですが。(毎日行っているんかい!)
ランチの後口が悪いので氷を食べることにした。
台湾のマンゴーかき氷は、まあまあでした。
でも並んで食べるというところまでいかない。
食べていると京女から電話。
会社から早めに帰ることになったようです。
ということで高島屋で待ち合わせ。
10分後、京女が到着。
ディナー用の食材を買った。
百貨店から出ると外は台風。
風雨が強くなっている。
建物の中にいるとそれがわからないのです。
そんな状況でタクシーに乗り込む。
タクシーも風雨が強くなると取り合いになる。
いつものタクシーが居た!
三人で乗り込む。
タクシーが動き出す。
運転手さんと世間話をしながら走る。
五条坂陶器市の所を通ると屋台は厳重に畳んでありました。
やっぱりね。
無事、家に到着。
京男Jr.2は、運転手さんに行き先を告げなかったのが不思議だったらしい。
「何回の乗っているので顔見知りなのよ。ついこの間も乗ったばかりだしね」と教えた。ちょっとビックリしたらしい。
こんなタクシー、後数台あります。
できれば知り合いの車に乗りたいものね。
↑MONGO SENSATION 「マンゴーかき氷」これは、台湾から来たかき氷らしい。高島屋の催しもので立ち食い。京男Jr.2がいっしょだから食べられた。一人では無理だったかも。豚生姜焼定食のタレの後口が悪かったので、口直しが必要だった。口の中がすっとした。
結局、マンションに着くまで傘をささなかった。
家に着いた途端、すごい風雨になった。
ラッキーな日でした。
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伏見稲荷大社の御旅所 [社寺]
↑伏見稲荷大社御旅所、南側
先日、祗園祭の御旅所の記事を書いた。
その時、伏見稲荷大社の御旅所のことを少し書いた。
実際の御旅所を撮影してきたので紹介します。
伏見稲荷大社の御旅所は、東寺の北東にあります。
イオンモールの西向にある。
八坂神社の御旅所より広い敷地です。
昔は、下社(七条油小路)、中社・上社(八条坊門猪熊)にそれぞれあった。
それを天正年間(1573-1592)、豊臣秀吉により、2か所の御旅所が廃され、現在地に遷された。以来ずっとここにあるそうです。
伏見稲荷大社は、稲荷大神(宇迦之御魂大神ほか4柱の総称)を祀った神社。
宇迦(ウカ)は穀物・食物の意味で、五穀豊穣を司る神です。ちなみに女神さんです。穀物の代表といえば稲ですね。稲(いね)荷(になう)→稲荷となったのかも。
たくさん収穫した稲を荷うというような意味。
神様のお使いが狐は有名ですね。あれは、狐の尻尾が稲穂に似ているからなんだそうです。
五穀豊穣、商売繁盛ということで、信仰する人も多かったのでしょう。
稲荷祭(4月20日寄りの日曜日〜5月4日)京都の町を繰り出す。
平安時代は、祗園祭と同じぐらいの規模のお祭だったそうです。
祗園祭のように山鉾もあったのだそうです。
江戸時代になり「京の三大祭」といえば稲荷祭と賀茂祭(葵祭)と祗園祭だったそうです。
いまでも稲荷祭はやっているけど、トラックに神輿が乗って走るぐらいかな・・・。
以前、氏子の地域に住んでいたので、祭といえば稲荷祭。
しかも行列が立ち寄りお休み処をしていたのでなじみ深い。
↑北側
この御旅所は、その時のためにこれだけ広い場所があります。
きっと倉庫も兼ねているのでしょう。
お祭の時は、屋台がでるのだそうです。
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工事中、損か得か? [社寺]
昨日、早朝清水寺に行ってきた。
久しぶりかも。
まあ、家にタクシーを呼び、行っただけなので、「行った」と偉そうに言えません。
同じような坂を毎日歩いているので、慣れているのですが、汗をかくのが嫌だった。
森貫主の法話を聞きにいくのに汗だらけではね。
帰りは、山沿いに歩いて帰りましたけど。
清水寺は「平成の大修理」の最終段階の工事をしたはります。
本堂の檜皮葺の屋根の葺き替えをやったはります。
明治維新以来、三度目らしい。
檜皮葺って50年は持つらしい。
この工事、後3年かかるそうです。
すごいでしょ。
完成を観られるだろうか・・・。
また、50年後にまた修理。
まあ、その時は、絶対生きていないでしょうね。
生まれ変わるには、まだちょっとという感じかな?
100年後ぐらいなら生まれ変わっているかも。
そして、修学旅行で見に来たりしてね。
その時代に修学旅行があるかどうかはわかりませんけど。
絵葉書的な清水寺を期待して来た観光客もいるだろう。
「拝観料を返せ!」と文句をいう人がおるかも。
私も一瞬考えた。まあ、昨日は無料やったけど。そうか私はいつも無料か!
私・・・ほとんどのお寺は無料なんです。
でも片肌を抜いて卍の入れ墨をみせないといけない。これは嘘です。
本堂の工事の足場がとても綺麗でしょ。
よく見ると得かも。
いつもの絵葉書的なものもいいけど、これも貴重な風景です。
マニアの人(?)に、お勧めです。
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父親 対 ベトナム料理 [食]
↑ニャーヴェトナム 京都店「本日のプレートランチ」京男発注。
母親の命日の日、父親と二人で墓参り。
私が先に行って、掃除と花、線香等をセットアップ。
父親を待つ。
なかなか来ない。
タクシーが坂を上がってくれなかったとのこと。
大型車両で自宅に向かえにきたらしい。
そろりゃだめだよね。あの狭い道に入れない。
父親は一つ賢くなったでしょう。予約の時、小型車で来て欲しいと言えばよかったのです。そうやって賢くなる。良い経験です。
↑「ピリ辛挽肉のフォーとおかず3種セット」父親発注。
私は、朗読を聴いているので待つのは平気。イライラしません。
父親がトボトボやってきた。
墓地の中では、手を繋ぐ。
なんだか恥ずかしいけど、手を放すと墓地に吸い込まれそうだしね。(笑)
無事、我が家の墓参りが終わった。
「本家も行ったらどう?」というと「行く」とのこと。
もう少し山の方に行く。
本家も無事お参りができた。
↑厚揚げとつくねだから父親の入れ歯でも食べられると計算
そしてランチタイム。
予定通り、この間、私が下見に行った「ニャーヴェトナム 京都店」にタクシーで移動。ランチメニューは諳んじているので安心です。
↑ベトナム式のコーヒー
↑底に練乳。練乳もアリかも。
父親にベトナム式のコーヒーを体験させました。
問題は、ブラックで飲めない。糖尿病なんだからブラックでいいと思うのですが・・・。
すると写真のような状態になりました。
底に練乳を入れたった。
↑この後、父親は、勢いよくきりかき混ぜてしまった。
父親に「底の練乳、混ぜすぎると甘くなりすぎるので注意」と言ったのに、彼は思いきり混ぜてしまった。
飲んで「甘い・・・」と発言。
呆れてしまった。
脳からの信号がうまく手先に届いていないのかも。
折角のコーヒーが・・・。
ベトナムのフォーを父親は気に入ったようです。
次の週、再度行きました。
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夏景色 [風景・和菓子]
真夏ですね。
夜明けと日暮れに鳴く蜩(ひつらし)の鳴き声が涼しげ。
朝、寝床で聴いていると何とも気持ちがいい。
太陽が上がってくるとクマゼミの暑苦しい鳴き声がします。
少なくなったのはアブラゼミかも。
小さい時、セミを捕っていていても殆どがアブラゼミだった。
クマゼミなんか捕れたら、他の子供に誇れた。
最近は、アブラゼミの方が誇れるかも。
それともアブラゼミの方が声が小さいからいるけど、目立たないのかな?
それから最近、トンボを見かけることが少ない。
ブンブンなんかも少ない、カマキリも。
ひょうっとしてマンション周辺でどんどん自然が破壊され、大学の建物が建っているからかも。
ヘビやトカゲも見かけない。
大丈夫なんあろうか。
そのかわり外来種は増えているのかも。
↑京都鶴屋鶴壽庵「朝顔」
もうすぐ8月7日(月)から10日(木)には、五条坂陶器まつりだ。
同じく8月7日(月)から10日(木)に六道珍皇寺で「六道まいり」がある。
そしてお盆。
8月16日(水)に「京都五山送り火」
それが終わったら会社関係の夏休みは終わる。
その次の週には、地蔵盆で京都の夏はお終い。
↑葛、紅あん
早く夏が終わらないかなぁ・・・。
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瓢箪&アリ [社寺]
↑豊国神社。向かって左に瓢箪があります。
昨日、外を歩いていて「夏やなぁ・・・」と感心した。
何をいまさらでしょうが。
クマゼミがメスを求めて暑苦しく鳴いている。
まあ、彼等も子孫繁栄のため、暑い夏空の下鳴いているのだから「うるさい!」とも言えません。
昨日は、クソ暑い中、少々散歩。
豊国神社の瓢箪が大きくなっているだろうと見にいった。
大きくなっていました。
境内は、外国からの観光客がゾロゾロいました。
暑いだろうな。
日本に対して南方から来ているのかな?
なら暑さに馴れているのかも。
いつか今ぐらいだったかな、家族旅行で沖縄に行ったことがある。
沖縄に着いて、涼しかったのがショックでしたね。
確かに沖縄は日差しはきつく暑いけど、日陰は案外涼しい。
沖縄の人に聞くと、32度ぐらいにしかならないらしい。
京都の方がずっと熱い、しかも日陰でも湿度があるから暑い、そのかわりといってななんやけど、夜も熱帯夜の連続。
逆に沖縄の人が京都市内に夏に観光で着たらビックリするかも。
冬に北海道の人が京都に来て「寒い!」とビックリしたのにも驚いた。
京都市は、すごいところです。
でも、京都市内はありがたいことに、災害にあまりあわないですね。
もちろん昨今ゲリラ豪雨というのもあるから、わかりませんけど。
なんて考えながら境内にいるとスマホに電話がかかってきました。
ヘッドセットをしていたので、快適におしゃべりしておりました。
脚だけ太陽光に当てて焼いていると、アリが足元にいっぱいいて登ってくるのです。
話しながらジッとアリを見ていた。
どうやらいま流行りのヒアリではない感じ。
結構長い時間喋っておりました。
怪しいオッサンが独り言のように喋っているので、観光客が不審げに見ていく。
「見世物と違うで!まあ、見てもええけど拝観料をお払いやす!」と各国の言葉で言いそうになりました。
でも電話中なので、怒鳴れなかった。残念。
今日は、母親の命日、お墓で父親と待ち合わせ。
父親は、まだ入っていません。タクシーで来ます。
暑いだろうなぁ・・・。
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つけ麺とは珍しい [食]
↑ニャーヴェトナム 京都店「ベトナム風つけ麺ブン・チャア」
週に一度、父親をランチにつれて行くことになっている。
でも毎週やっていると行くお店がなくなってくる。
同じ店でもいいけど、飽きてくるのです。
それと行きつけのお店が閉店が続いているのもある。
新規のお店なんですが、なんでもいいという訳にもいかない。
行列をするのはちょっと困る。
↑もちもちのお米の麺をタレにつけて、つくねや焼肉と一緒にいただきます。唐辛子が入っているけど、全然問題ない。つけ麺って食べ難いものですね。ぶっかけにした方がいいのに。
父親は、あまり固いモノは食べられないのです。思うに「食べる気がない」。
食べる気があれば、たとえ歯がなくても歯茎で食べる。歯茎を鍛えたら肉でも食べられると思う。
食べモノに偏りがあるのです。結構好き嫌いをいいます。
子供なら無理矢理でも食べさすのですが、そうも行かない。
↑これは、デザートのタピオカ・ココナッツミルク。底に小豆が沈んでいます。タイ料理でもあるデザート。
父親は、麺類が好き。御飯も好き。濃い味が好き。
私は、あまり食べない。御飯も必要でない。おかず喰い。
私が酒飲みだったらいいのですが、残念ながらアルコールアレルギーなんです。
だから、小料理屋・焼き鳥・串カツ・炉端焼・焼き鳥・寿司等々はあまりお店をしらないのです。
↑これがベトナム式のコーヒー
まあ、そんなことを言っても仕方ないのです。
今回は、ベトナム料理の店を下見にいきました。
タイ料理と似ているけど、タイ料理より野菜が多く、脂分が少ない、甘くて酸っぱい感じのお料理がおおいかな?
夜に行けるとア・ラ・カルトが色々注文できるのでしょうが、私は夜、外で食事はあまりしないのです。夜なら5時ぐらいに入って6時半ぐらいには、帰りたいと思ってしまう。宴会には向かないタイプの人間ですね。
↑上の部分にコーヒーの粉とお湯が入っていて、下のカップにコーヒーが落ちます。
今回のお店は、元七条警察所だった場所にできた建物の2階にあるニャーヴェトナム 京都店です。これからは免許の書き換えはここで出来るらしい。やっとあの辺鄙な場所にいかなくてよくなった。
↑コーヒーが下のカップに落ちたら、外して蓋の上に乗せます。
取りあえずランチのベトナム風つけ麺ブン・チャアを注文。
写真のような雰囲気のものです。
ちょっと甘味が強いかな・・・どうもつけ麺は好きになれないかも。
↑こんな感じになります。砂糖はなし。ブラックです。
ベトナム式のコーヒーが面白いですね。
ただし、このコーヒーは、ブラックなんです。
私は問題ないけど、父親はどうかな?
↑コーヒーの豆は、中深煎のカフェヨーロピアンのタイプかな?そうかベトナムはフランス領だった時期があるから、カフェ・オ・レなんかも飲まれていたのでしょうね。私はこのコーヒーが好き。
この数日後、父親をつけて行きました。
また、ご紹介します。
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