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八幡宮? [社寺]

相国寺境内の続き。
鳥居が見えてきます。
お寺に鳥居があるのは不思議な感じがありますね。
八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)をお祀りしてあります。
八幡神は、日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)と称され、神社内に神宮寺が作られた。

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↑相国寺八幡宮

相国寺八幡宮はかつて南北朝時代に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が造営した花の御所(御所八幡町)に祀られていました。足利義満は石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)から御神体を迎える際に石清水八幡宮から花の御所までの沿道に白布を敷き詰めたと言われています。その後相国寺境内に移されました。なお八幡宮は源氏の氏神である八幡神を祀っています。
八幡神は誉田別命(ほんだわけのみこと)とも言われ、第15代・応神天皇と同一とされています。奈良時代以降の神仏習合(しんぶつしゅうごう)により、八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも言われました。八幡神は清和源氏・桓武平氏(かんむへいし)などの武家から武運の神(武神)として崇敬されました。また八幡神は第15代・応神天皇と同一とされ、皇祖神としても位置付けられました。八幡神は571年(欽明天皇32年)に初めて大分・宇佐の地に示顕したとされ、大分県宇佐市に宇佐神宮(宇佐八幡宮)が建立され、八幡神社の総本社になっています。

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相国寺八幡宮は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)です。
流造は神社建築の一形式です。流造は正面入口にあたる屋根の一方(前流れ)が長く延びた形式です。流造は伊勢神宮(いせじんぐう)に代表される神明造(しんめいづくり)から発展し、奈良時代末期から平安時代に成立し、全国に広がりました。流造では上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ)がよく知られています。流造では正面(桁行)の柱間が1間(柱2本)の場合には一間社流造、3間(柱4本)の場合には三間社流造、5間(柱6本)の場合には五間社流造になります。

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八幡宮の隣にあるのが大きな梵鐘。
こういう景色が習合の世界ですね。
日本は、それでいいのかも。

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↑浴室

次にあるのが浴室。
いつもお寺で浴室というのがあるけど、いまは使われてないのでしょうね。
こういう浴室というのは、今でいうサウナ形式。
お寺も外はクラシックで中は、新型のサウナになっていて実際に使えたらいいと思うな。
この浴室は、きっと特権階級のものだったのでしょうね。

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だから、お寺の浴室でゆっくり蒸し風呂なんてのがいい観光資源になると思う。
尼さんが「お背中をお流しします・・・」なんてね。極楽極楽。

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↑大光明寺(だいこうみょうじ)、相国寺の塔頭。

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この塔頭も由緒があります。
でも引き写すと長くなるので省略させていただきます。

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タグ:京都 社寺
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