清水寺舞台のちょっと前? [社寺]
↑この日の新緑は綺麗だった
梅雨ですね。よう雨が降ります。
先月末の湿度が低いカラッとした状態が懐かしい。
↑仏足石
↑こういう仏足石は珍しいかも。これなら寝た状態のお釈迦さんの足になるし・・・
本日の写真もその時のモノです。
拝観料が必要な箇所の写真です。
舞台の所に行くちょっと前の箇所です。
↑なかなか重い下駄でした
こうやって景色を見ると高い位置に清水寺があるのがわかるでしょ。
よく見ると京都タワーが下の方に見えています。
京都タワーの上よりも高い高度なんです。
もちろん我が家もその高度にあります。
ちょっと酸素が薄いです・・・なんちゃって。
この坂を毎日登り降りしております。
この清水寺の舞台から飛び降りた人の数という資料があります。
『清水寺成就院日記』という文献には江戸時代の1694年から1864年のうち、欠落部を除く148年分の記録が記されているそうです。 その文献によると、江戸時代に 234人が清水の舞台から飛び降り、うち死亡者は34人で、約85%の生存率。
昔の人は小柄で体重が軽かった。木に引っ掛かって助かったというのもあるらしい。
最近は、飛び降りた人というのはいませんね。
見ると結構高いですよ。
いっそキヨブタ(清舞)バンジージャンプなんてのはどうやろ?
御札付きとか・・・だめか。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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景清の目玉のゆくえ [社寺]
もう梅雨入りらしいですね。
蒸し暑い!もうすこしでクーラーのスイッチを入れそうになった。
服装も夏になってしまった。
記事は、まだ清水寺境内です。
↑胎内めぐりをやったはる随求堂(ずいぐどう)。新型コロナの影響でいまは胎内めぐりはお休みしたはります。
↑三重塔
本日のタイトルは不思議でしょ。
知っている人が少ないかも。
「景清」って?となるかも。
景清というのは、平氏の侍大将だった平景清のことです。
壇ノ浦後に、源頼朝の暗殺を企てて捕らえられ、「源氏の世は見られぬ」と自らの眼球をくりぬいて、清水寺に奉納したという伝説が残る人物です。
↑景清爪形観音の石灯籠
景清の彼女が遊君・阿古屋です。『壇浦兜軍記』(だんのうらかぶとぐんき) 阿古屋の琴責め(あこやのことぜめ)の阿古屋ね。
琴の上に座らしたりしたんと違います。念のため・・・。
まあ、景清は、阿古屋の自白でなく別件で捕まった。その時「自分の目玉をくりぬき、清水寺に奉納」。目玉をくりぬいたのは「犬の目」の時の医者ではないと思います。景清さん自身でやらはったかも。
↑覗いてもようわかりません
この景清爪形観音の石灯籠は、牢内で景清さんが爪で観音さんを彫らはったそうです。この灯篭の中にその観音があるのだそうです。
覗いてもようわかりません。
↑隣のお地蔵さん
この景清さんが清水寺に奉納しやはった目玉には後日談があります。
京都市内の目貫師(彫金職人) の定次郎さんが清水寺の観音さんにお願いしたら、清水寺の観音さんが、定次郎さんに入れたげはった。
眼が見えるようになり、喜ぶ定次郎。ふと、足下に目玉が二つ落ちていることに気がついた。これはまさしく先刻までの自分の目玉。「これも大事に」と持って帰ろうとすると、後ろで観音さんが「定次郎、下取りの眼は置いて行け」 と言わはったそうな。
この話しの続きがある。
景清の眼を得た定次郎は、目玉と共に豪傑の精まで入ってしまったと見えてやたらに強くなる。大名行列に暴れ込み、歌舞伎の景清よろしく名乗りを挙げ、殿様の駕籠の前に立ちはだかって見得を切ってしまった。
殿様「そちは気でも違ったか」
定次郎「いや、眼が違った」
お後がよろしいようで。
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蒸し暑い!もうすこしでクーラーのスイッチを入れそうになった。
服装も夏になってしまった。
記事は、まだ清水寺境内です。
↑胎内めぐりをやったはる随求堂(ずいぐどう)。新型コロナの影響でいまは胎内めぐりはお休みしたはります。
↑三重塔
本日のタイトルは不思議でしょ。
知っている人が少ないかも。
「景清」って?となるかも。
景清というのは、平氏の侍大将だった平景清のことです。
壇ノ浦後に、源頼朝の暗殺を企てて捕らえられ、「源氏の世は見られぬ」と自らの眼球をくりぬいて、清水寺に奉納したという伝説が残る人物です。
↑景清爪形観音の石灯籠
景清の彼女が遊君・阿古屋です。『壇浦兜軍記』(だんのうらかぶとぐんき) 阿古屋の琴責め(あこやのことぜめ)の阿古屋ね。
琴の上に座らしたりしたんと違います。念のため・・・。
まあ、景清は、阿古屋の自白でなく別件で捕まった。その時「自分の目玉をくりぬき、清水寺に奉納」。目玉をくりぬいたのは「犬の目」の時の医者ではないと思います。景清さん自身でやらはったかも。
↑覗いてもようわかりません
この景清爪形観音の石灯籠は、牢内で景清さんが爪で観音さんを彫らはったそうです。この灯篭の中にその観音があるのだそうです。
覗いてもようわかりません。
↑隣のお地蔵さん
この景清さんが清水寺に奉納しやはった目玉には後日談があります。
京都市内の目貫師(彫金職人) の定次郎さんが清水寺の観音さんにお願いしたら、清水寺の観音さんが、定次郎さんに入れたげはった。
眼が見えるようになり、喜ぶ定次郎。ふと、足下に目玉が二つ落ちていることに気がついた。これはまさしく先刻までの自分の目玉。「これも大事に」と持って帰ろうとすると、後ろで観音さんが「定次郎、下取りの眼は置いて行け」 と言わはったそうな。
この話しの続きがある。
景清の眼を得た定次郎は、目玉と共に豪傑の精まで入ってしまったと見えてやたらに強くなる。大名行列に暴れ込み、歌舞伎の景清よろしく名乗りを挙げ、殿様の駕籠の前に立ちはだかって見得を切ってしまった。
殿様「そちは気でも違ったか」
定次郎「いや、眼が違った」
お後がよろしいようで。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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清水寺風景2 [社寺]
↑馬駐、これも重要文化財です。いまでいう駐車場ですね。将来、駐車場が重要文化財になるのかも。昔、車というのがあってそんなモノに乗っていた時代があったんだ!なんてね。
これは、明治初期の測量の基準点のための標石。
明治になり正確な地形の測量をするために設置したらしい。
英国の測量技術に学んだものらしい。
京都市内は、江戸に首都が移動したから没落してきた。だから疎水工事とか電気、下水上水を整えた。
古都のイメージが近代風に変化した。
建物も洋館と和風建築が混在し、市電が京都市にを走った。
京都市内にとって面白い時代だったのかも。
それから大東和戦争で空襲にあわなかったので、いまだに道幅が狭い。
いいのか悪いのか・・・。
街中の醜い電線も、京都らしい景色なのかも。
↑観光客がいないでしょ!昼ぐらいの時間なのに・・・。
それと明治3年に起こった「廃仏毀釈運動」の嵐はすごかった。
京都市内から地蔵さんがなくなった。清水寺にお地蔵さんが多いのは、その時保護?されたお地蔵さん。
市電の敷石にされたお地蔵さんも多かったらしい。
その頃、海外に仏教美術が流出したらしい。
↑基準点標石
地方に行くとお寺がない所があったりする。
その時代の影響らしいのです。
京都市内は、社寺が多い。
でも宗教というより「遊山(観光?)」的な正確が強いように思います。
家庭から神棚や仏壇が姿を消しつつあります。
だから日本人は無宗教とは言いがたい。
それもいいのかも。
でも「いのち」のことは、しっかり考えた方がいいのかも。
次世代の課題なのかも。
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清水寺風景 [社寺]
さて本日の写真は、清水寺の正面玄関。
まさに絵葉書の世界。
↑こんなのあったっけ?
しかも、この時、新型コロナの影響で観光客がいない!
これは、すごいです。
こんな清水寺は貴重ですよ。
↑観光客がいないでしょ
一時、雲霞のように外国人観光客が来ていた。
いまは、ほとんど人がいない!
清水寺って拝観料で成り立っているとしたら、昨年から今年にかけての売上?は、恐ろしく低くなっているだろうな。
でも売上が減っても国が補助してくれないだろうな。
↑清水寺善光寺堂
清水寺善光寺堂は洛陽三十三所観音巡礼の第十番で、ご本尊には鎌倉時代につくられた如意輪観音菩薩がお祀りされています。
↑前面のお地蔵さんは、新しく作られたもの。
このお地蔵さんが面白いのです。
首が回ります。
想う人が居る方角にお地蔵様の首を向けてお祈りすると結ばれるとも云われ、縁結びのご利益もいただけると人気があります。
想う人が上下方向だたらどうなるんやろ?
↑初代のお地蔵さんは、後ろにあります。
首振地蔵のそばには「合掌した後静かにお廻しください」と書かれた板が立ててあります。この信仰は江戸時代から続いていて、清水寺七不思議の一つに数えられています。
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清水寺新緑風景 [社寺]
昨日ぐらいから近畿も梅雨入りになったらしいですね。
まだ5月中旬だというのに・・・。新型コロナの影響ですかなね。
都合の悪い時は「新型コロナ」といえばいいような風潮。
昔でいえば「リーマンショック」ね。
あの頃、タコ焼き屋のおっさんでも「リーマンショックの影響で・・・」といっていた。本当は全然関係ないのにね。
まだ、清水寺の写真が残っているので、清水寺の新緑風景をご紹介します。
この碑は、阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)の碑。
ご存知ですか?
清水寺といえば、坂上田村麻呂。
阿弖流為(アテルイ)と母禮(モレ)は、蝦夷軍の指揮していた人です。
田村麻呂の人となりに感服し、投降した。
で、都に連れて帰ってきた。本当は生命を助け、蝦夷地方を彼らに統治させようと田村麻呂は思ったらしい。でも朝廷は処刑してしまった。
↑トッククライミングの練習?
↑石垣の整備のようです。
そんなことは、ご存じない人が多いかな?
学校では習わないか・・・。
それにしても、この日の新緑は綺麗でした。
しかも、お昼に近い時間なのい観光客が居なかった。
こんな清水寺は、初めての経験です。
独り占めの贅沢を満喫。
写真は、まだ続きます。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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上品蓮台寺 [社寺]
先週の金曜日、京都ライトハウスに行き、千本通を南下しました。
社会福祉法人 京都ライトハウスは、視覚障害児・者のための総合福祉施設なんです。私は、脳出血の後遺症で読字障害になり、図書館を使えるようにしたかったので行き、お世話になっています。今回は、父親の件でもお世話になりました。
そういえばこのライトハウス、母方の祖父がかなり関係していたと思う。どう関係していたのかはわかりません。
用事が終わり、千本通を南下するとこんなお寺がありました。
ここは、入ったことがありません。
上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)は、蓮華金宝山九品三昧院と号する真言宗智山派の寺である。
寺伝によれば、当寺は、聖徳太子の創建と伝え、当初香隆寺(こうりゅうじ)と称したが、天徳4年(960)宇多法皇の勅願により、寛空僧正(かんくうそうじょう)が再建し、寺号を上品蓮台寺と改めたといわれている。当時は、広大な寺域に伽藍(がらん)が建ち並び壮大なものであったが、応仁の兵火により悉く焼失した。文禄年間(1592〜96)性盛上人(しょうせいしょうにん)が復興し、当寺の外に十二の支院を建立したので、俗に十二坊の名で呼ばれるようになった。しかし、現在支院は三院を残すのみである。 本堂には、村上天皇より賜った上品蓮台寺の勅額を掲げ、内部には、本尊延命地蔵菩薩像を安置している。
寺宝としては、著色絵因果経(国宝)、著色文殊菩薩画像、著色六地蔵画像(ともに重要文化財)など、多くの文化財を蔵している。
以上ネットからの書き写しでした。
聖徳太子が創った?なんかすごいですね。
何が気になったかといいますと、表札みたいなモノが重ねてあるのが見えたからです。これはなんだろう?わかりません。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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ハンバーグって久しぶりかも [食]
↑キッチンパパ
昨日は、朝から外出だった。
久しぶりに咽頭炎っぽく、頭がズキズキしていた。いつもの奴です。
この所の寒暖で寝冷え状態になっていたかも。
冷えるから布団を重ねた。すると汗。
季節の変わり目もあるのだろう。
いつもの耳鼻科に行けば治るのです・・・で、朝から行ってみた。すると耳鼻科の先生が体調不良で当分休診。ガーン!
しかたなく自分で治すことにした。一番酷い状態は脱していましたからね。ウガイ薬もあるしね。それでなんとかなるだろう。
↑入るとお米屋さんなんですよ。もともと美味しい御飯を食べてもらうために始めたお店なんです。
次に父親にiPhoneを持たす為の作戦。
父親は、眼がほとんど見えない状態になっていて身障者手帳を発行してもらう状態になっている。しかも透析をしないと行けなくなった。
そのための様々な手続きがいるのです。
iPhoneを使って読み上げデータをダウンロードして聴けるようにしてやりたい。もちろん音楽も聴けるようにしてやりたい。もちろん連絡も自由にできるようにしたい。
AppleWatchで医療用ではないけど、血中酸素濃度や脈拍、歩数計、転倒した時の連絡なんかをしてくれるのでそれもやりたい。
↑取りあえずサラダが来ます。
まずは、京都ライトハウスに行き、ネット上の音声図書館が使えるように申請しにいった。京男は、この方法で本を聴いている。私はもう一つKindleブックをOSの読み上げ機能を使って読み上げてもらっているのです。
↑味噌汁
聴くのはワイヤレスのヘッドフォンAirPods Proを使う。
これだけやれば、週3回4時間の透析も楽しくなるかも。
↑キッチンパパ「ハンバーグ&ミスジステーキ(和風おそしソース)」
そのための第一歩で図書館からダウンロードできるようにしないとね。
もちろん、ダウンロードや設定は、私がやります。
先週末から私もiPhoneに切り替えたので、いまならわかります。
設定だけやれば、後は音声指示で行けるだろう・・・たぶん。
↑いいでしょ(笑)
京都ライトハウスで以来をし、その後、千本通を徒歩で南下。
遅めのランチは、キッチンパパへ。
久しぶりだった。
↑これが主役の御飯
その後、いろいろ撮影しながら南下。
最終的に京都駅に行き、ヨドバシカメラへ
iPhoneその他の説明を聞く。
その後、京都大丸のネイルサロンに行く。
本来なら明日、大阪で爪の手入れをする筈なんですが、大阪のお店はいま緊急事態宣言で休みなんです。それで急遽、京都で施術となった。
↑ステーキ
その後、京女と合流。
買い物をして家に帰ると日が暮れていた。
↑ハンバーグ
本来なら清水寺の続きなんですが、ちょっと飽きて来たので違う内容にしてみました。
来週、父親が退院するのです。そのための用意がやたらあるのです。
最初は、転院予定だったのですが、いまの時期、入院すると面会もさせてくれないので、自宅に帰り、自宅から透析病院に通う(といっても送り迎えはしてもらいますが)予定。見学や取り決め、食事、看護師さん、デイサービス再開なんかもしないといけない。
さてどうなるか?
やってみないとわからないことが多いのです。
来週は、記事が希薄になるかも・・・。
まあ、仕方ないのです。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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音羽の滝周辺の新緑 [社寺]
まだ清水寺境内が続きます。
最初の写真は、音羽の滝のところです。
水垢離(みずごり)をする時の踏み石?かな。
でもこの場所で水垢離を目撃したことはないです。
みんなが飲むのに行列している時、水垢離をしていたら困るだろうなぁ・・・。
早朝とかにやったはるのかな?それとも夜?夜はしないだろうな。
この程度の水流でも頭にうけると効きますよ。
次の2枚の写真は、ようわかりません。
なんか気になったので撮影。
ここから音羽の滝から舞台を見上げた新緑。
なんとも綺麗な緑色でした。
今年は、人が少ないからゆっくり楽しめました。
私は、下から見上げる舞台が好き。
いまは、緑も綺麗だし最高ですよ。
この日は、本当に見学にはいい日でした。
人が居ませんから。
この後、お寺の正面に行き、舞台の上に行き、またこの場所に降りてきました。
その時かな音羽の滝の水を飲んだのは。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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音羽の滝 [社寺]
南の入り口から入るとこんな歩き方になります。昔なら逆走して舞台に行くのですが、最近は逆走したらあかんらしい。
そうなると音羽の滝に行くことになる。
無料で歩いているとそうなります。
どうやら有料なのは、舞台の所という感じですね。
皆さんは、清水寺に行くと音羽の滝に行きますよね。
私は、あまり興味ないから並んだりしません。
観光的に言うと滝の三筋には、効能があるらしい。
向かって左が「学業成就」、真ん中が「恋愛成就(縁結び)」、右が「延命長寿」なんだそうです。
私は、観光や修学旅行で来ていないので、このことは知りませんでした。
この三つの願いって、悲しいような気がします。
そんな程度なんですか・・・。
上記の功徳は、修学旅行や観光客対応らしいです。
↑お不動さんかな?
江戸時代では、左が慈悲(災厄消除)、真ん中が「金運」、右が「知恵」らしい。
ちょっとだけましな願いですね。
この音羽の滝の水は、音羽山系(滋賀県から京都市にかけての花崗岩の山から湧き出ている)の水なんです。軟水で天然ミネラルバランスがいい水なんです。これはこの水を汲み上げている業者さんから説明を受けました。
甘く感じるお水なんです。
↑役小角
きっと清水寺開山の時から湧き出ている水。
観音さんに守られたお水なんでしょう。
願いとかいうより「感謝」して飲むといいのかも。
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地味な?清水寺風景 [社寺]
さて本日から清水寺の境内の写真をご紹介します。
皆さんは、清水寺をご存知ですよね。
京男の場合、清水寺とのご縁は三十数年ぐらいになります。
小さい時は、西陣、聖護院方面、岡崎公園、動物園、吉田山、鴨川・・・なんかは馴染みがあったけど、清水寺は行ったことがなかった。
すごいでしょ。京都の東山区以外の子供はそうだと思う。遠足に行くには近くのです。京都駅なんかも最近は毎日のように行きますが、私の小学校ぐらいの時は、年に数回ぐらいしか行かなかった。
丸物で夏休みの工作の発表展示があり、それには常連でしたからね。
絵なんかもそうです。
その時、市電に乗って行ったものです。
でも清水寺は行かなかった。
縁がないしね。
高校の時は、永観堂や南禅寺の側だったから若干は行った。
でも通るだけで境内に入るというのは皆無。
神社だってそうだ。
吉田神社も遊び場所だけど、詣ったことはない。
幼稚園の時は、キリスト教だった。
日曜学校に行けば、えびせんがもらえると思い、行こうかと思った時期がある。
あれって「聖餐式」というやつみたい。
パンとぶどう酒の儀式らしい。
うまそうに見えたのです。えびせん状のものが・・・。
あのえびせん状のものがキリストさんの身体で、赤い飲物がワインでキリストさんの血をあわわしているのだそうです。
そう小さい時に説明されたら、食べたくなくなっただろうな。
高校の時は、仏教系だったので、ちょっとだけわかっていた。
でも本格的にわかったのは、最近かも。
神道も同じようなものかも。
典型的な日本人パターンかも。
「あんたとこの宗派は何?」と聞かれたら「もんと」と言うことになっていた。
「もんと」って「門徒」?
ウィキペディアで調べると
「門徒とは、一門のともがらのことを指す呼び方である。ことに同じ門流に属して信仰を共にする人びとのことを言う。後には一寺に属する檀徒のことを言うこともある。 ことに浄土真宗の檀徒・信者を「門徒」と呼ぶことが一般的であり、他宗派の檀徒を門徒と呼ぶことは少ない。このことで、「浄土真宗」を門徒宗と呼ぶこともある」とありました。
我が家は、浄土真宗ということになります。
母が亡くなった時、父に質問しました。
「我が家の仏壇は、浄土真宗的ではない。なぜ?」とすると「知らん」とのこと。
仏壇に入っているのは、中学の時に亡くなった妹が入っているだけなんです。
先祖はいません。本家でないしね。
妹が亡くなった時、おっさん(和尚さん)とお金の件で父とおっさんが揉めたらしい。以来、父は仏事にノータッチとなっていた。
困ったのが母です。「お前に任すから仏壇を作れ」と言ったらしい。
私は、その時、大阪に住んでいたから実家に居なかったのです。
母は、仏壇の件を母の実家に相談した。
母の実家は浄土宗だった。
だから我が家の仏壇は浄土宗の形になっている。位牌だって変な作りになっていた。俗名もなかったしね。
父に聞いても「知らない」という答え。
いい加減な・・・。
で、私が母親の位牌を作った。うまくできたので妹の位牌も作り直したのです。
もちろん、入霊作業も私がした。そんなことが出来るのがちょっと異常かな?
でも仏壇は、変なまま。
いずれ、仏壇はもっと簡素化するだろう。
なんてのが我が家の状態。
清水寺とは、ほんとに最近の付き合いになるのかも。
でも唯識についてはちょっとだかけ門前の小僧状態で学べた。
北法相宗というのは、ちょっと好きですね。
清水寺は、檀家がないのです。お盆だって檀家回りをなさらない。
墓地もないのです。本来の仏教に近いのかも。
清水寺は、昔から遊山の寺。
いろんな神仏が到るところにあります。
本日紹介の写真を見るといろんな神仏が祭ってある。
もうなんでも有りの状態。
それを観音さんが束ねている。
それでいいのかも。
日本らしくて。
そんな状態なら宗教戦争なんか起こらないだろう。
そこが日本の良さ。
宗教や信仰をもうすこし「いのち」という観点で見直す時期が来ているのかも。
そんなことを境内をうろうろしながら考えておりました。
緑が綺麗だった。
まだ写真は続きます。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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