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昭和の残像 [食]

先日、大将軍神社東三條社に行ってきた。
京都市内の大将軍神社が四社あるのをまわっています。
だから大将軍関係の記事は続きます。
個人的な記事なのであまり面白くないかもしれませんね。私にとってはとても面白いのですけど・・・・。

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今回は、三条大橋の東側。
ちょうどランチタイムだったので、篠田屋に行っただけといえばそうですけど。
三条大橋ってかなりボロボロになっていますね。大幅なメンテナンスが必要。
やるなら今年だと思うけど。

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鴨川も綺麗になってきました。歩道もあるしね。
ちょっと風情がないけど、しかたないか。
高山彦九郎の現在の銅像は1961年にこの場所に移動されたようです。物心がついた時には、この場所にあったということか。
ここで待ち合わせをする人が多かったそうです。私はそういうのはなかった。サラリーマン時代は徒歩で通っていたので、この像の前をいつも通っていましたね。帰りは遅かったのでタクシーだった。

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この写真って昭和の景色です。
篠田屋と同じようなお店がもう一軒あったと思う。
大きな駐車場になっている場所が京阪三条駅だった。
あれは、あのまま残して置いたらよかったのに。京阪も地下を走らせずに昔のままの方がよかったかも。

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篠田屋って、二十歳代には見向きもしなかったタイプの店です。
まあ、よく残ったものだ。

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店内に入ると昭和の世界になる。

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壁のメニューを見ていると楽しい。
この店は、たぬきうどん、木の葉丼、のっぺいうどんなんかはない。
そのかわり「デラックス丼」「デラックスうどん」「天とじ丼」なんてのがある。

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「品は高田で値は安兵衛」なんとも昭和ですね。安兵衛って誰?と言われそう。

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↑皿盛

これが篠田屋の名物かも。薄いカツを御飯にのせ、カレーうどんのあんかけ状のタレがかけてあります。

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ウスターソースをカツにかけ、七味をかけて食べます。辛くないしね。

過去に「かつカレー」「カレーライス」を食べた写真があると思います。
「とんかつ丼」ってどんなものなんだろう?
「デラックス丼」ってどんな味かな?
「中華そば」は、懐かしい味がします。

なんか雑談風内容でした。

和菓子

和菓子

  • 作者: 中村肇
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2018/01/22
  • メディア: 単行本


↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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うずまきが気になる [甘味・その他]

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↑麻布かりんと「渦巻きかりんと」

先日、デパ地下で見かけ買ったのが「渦巻きかりんと」。
形状と味が懐かしい。
なぜか渦巻きに反応する。
エネルギーを感じるからかな?

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これは、関東の会社みたいですね。
小さい時、こんなの食べたのかな?
駄菓子屋にあった?
私は、駄菓子屋でものを買って食べては行けないと母親にいわれて育った。もちろん紙芝居屋も禁止でした。ピン菓子の実演も興味あったけど、禁止だった。
こんなを書くといいとこの子みたいだけど、そんなことはないです。

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母親は、和菓子屋の娘なので、甘いものを食べさされ育った。実家では、一人羊羹なら一本食べていた。祖父は、御飯に砂糖をかけて食べていた・・・。だから嫌いだったようです。

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↑「かれいんと」みょうに懐かしい味がする。小さい時は食べたおぼえはないけど・・・。

私が小さい時に家にあったお菓子は下記のようなものです。
京都でいうと「蕎麦ぼうろ」
蕎麦でつくった「松葉」
泉屋のクッキー
西村の「衛生ボーロ」
こんなものだったかも。後は「お嫁さんのおまん」や「手作りおはぎ」。
「お嫁さんのおまん」地方によってはビックリされる名称かも。
結婚して、挨拶回りに新婦さんが持参する上用饅頭。上用なのは子餅状態の上用。私は小さい時、甘い物が好きでなかったので食べられなかった。大きなおはぎも恐怖でした。手作りおはぎは、子供の握り拳ぐらいの大きさ。御飯が苦手は子供にとって恐怖だった。鯖寿司なんかもそうだ。鯖寿司の鯖の皮の柄が苦手。大人になって食べられるようになったけど、胸が焼ける。
また「蕎麦ぼうろ」や「泉屋のクッキー」は、法事の引き出物でいつもありました。泉屋のクッキーでアンゼリカが乗っているのが苦手だった。
高校ぐらいになり、輸入のバタークッキーを食べるようになった時、クッキーの美味しいのに驚いた。
そういえば最近、クッキーやビスケットを食べていないなぁ・・・。
昔は、嫌いだった州浜を食べるようになった。昔たべた団子の形をした州浜は、苦手でした。

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↑スパイシーマサラ「ハンバーグカレー」

いまの子供は、フライドポテトを食べているけど、私の小さい時はなかった。あれは、マクドナルドが日本に上陸してからのもの。最近、マクドナルドは行ったことがない。あの独特の油の匂いが嫌いなんです。身体に悪そうだし・・・。
子供が小さい時は、家でようフレンチフライをつくっていましたね。
ピザも食べなくなった。日本にピザが入ってきた頃は食べていたけど。でも満腹感がないから、食べなくなったかも。お好み焼の方が良かったかも。

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↑こういうのが嬉しい。最近の若者はラッキョウなんて食べないのかな?

そういえばパスタを外食的に食べてないかも。
パスタは家でつくるものなんです。
焼きうどんのようなものにお金を払いたくないのかも。

本日は、訳のわからない内容でしたね。

和菓子

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雨乞いの神? [社寺]

昨日の岡崎神社の続きです。
この神社、うさぎのキャラがいっぱいあるのですが、うさぎが主役ではない。
本日紹介の「雨社」や「宮繁稲荷神社」が働きとして大切だったのでしょうね。

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↑雨社

この社は、天候の安定と五穀豊穣を願う役割があったようですね。
別名の「安目社」というのは、目の病気対応。昔は、眼病が多かったようですね。

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◎大山祇命(おおやまつみのみこと)/神産みにおいて、イザナギ・イザナミの間に産まれた神
◎句々廼馳命(くくのちのみこと)/神産みにおいて、イザナギ・イザナミの間に産まれた神
◎国挟槌尊(くにさつちのみこと)/主に『日本書紀』の天地開闢の段に登場。神代七代のうちの一柱
◎豊宇気媛命(とようけひめのみこと)/伊勢神宮の外宮の祭神
◎闇象女命(みづはのめのみこと)/日本における代表的な水の神

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元は如意々岳(大文字山)の山中の石祠に鎮座。全国にも珍しい竜神様で、天雨の恵みにより五穀豊穣を祈る雨乞いの神。安目社とも呼ばれ、目の病気平癒のご利益がある。

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↑岡崎神社本殿

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岡崎神社(別名、東天王社・東天王)の主祭神は、速素盞鳴尊(すさのをのみこと)、奇稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)、三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ)。
古事記に出てくる話によると、高天原(たかまがはら)、速素盞鳴尊のお姉さんがトップの天津神が住む場所から悪さをして追放処分され、地上を放浪していた。出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立った。
箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。その夫婦は大山津見神の子の足名椎命と手名椎命であり、娘は櫛名田比売(くしなだひめ)といった。
夫婦の娘は8人いたが、年に一度、高志から八俣遠呂智(やまたのおろち)という8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまう。今年も八俣遠呂智の来る時期が近付いたため、最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうと泣いていた。
事情を聞いた速素盞鳴尊が八俣遠呂智を退治して、奇稲田姫命を救った。それが縁で結婚、子供ができた。三人の女の子と五人の男の子ができ大家族となった。
この家族が岡崎神社の主祭神。

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それはわかったけど、「大将軍」は出てこないじゃん。
社もないし・・・。
大将軍は陰陽道において方位の吉凶を司る八将神(はっしょうじん)の一。魔王天王とも呼ばれる大鬼神。おそらくダークヒーロー的だった。日本神話でいうと速素盞鳴尊。そこから陰陽道での方位神の牛頭天王と日本の神話の速素盞鳴尊と「同じや」とした。だから岡崎神社も大将軍グループの一つと決められた(習合した)。
なんだか説明が無理無理になりましたね。
要するに日本的な考え方で、いいものはすべて取り入れればいい。
それと政治も絡んできている。

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↑宮繁稲荷神社

◎倉稲魂神(うがのみたまの神)/この名前は『日本書紀』に登場する女神。
『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)。名前の「宇迦」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。また「宇迦」は「ウケ」(食物)の古形で、特に稲霊を表し、「御」は「神秘・神聖」、「魂」は「霊」で、名義は「稲に宿る神秘な霊」。伏見稲荷大社の主祭神。
◎蛭子大神(えびす神)/『古事記』において国産みの際、イザナキ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神のイザナミから「やりましょ」と声をかけ失敗し、身体の不自由な状態で生まれた。育てることができないので葦船に乗せて海に流してしまった。
◎大国主大神(大黒神)/速素盞鳴尊(すさのをのみこと)の『古事記』では六世の孫。『日本書紀』では七世の孫。大国主大神なら因幡の白兎の話が成り立つのに・・・。

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元、仙洞御所の苑中に祀られていた社。仙院が炎上に帰し、宝永七年(1710)内命を以って当時の所司代松平紀伊ノ守信庸等が議して遷座。商売繁盛の神。

東の大将軍を岡崎神社という話は、ちょっと難しいのかも。速素盞鳴尊=牛頭天王では説明が苦しい。
神社としては、うさぎキャラの方をいいたいかも。
知らんけど。

和菓子

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  • 作者: 中村肇
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来年の干支は「卯(うさぎ)」 [社寺]

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↑うさぎが神さんのお使いという感じでもないみたい。若い女性向きのキャラクター展開なのかも。

ここは、岡崎神社。
この神社は、久しぶりに行ったかも。
今回は、東の大将軍をもとめて行きました。
ここは、うさぎがお使いの神社なんです。
「大将軍」の「だ」の字も無かった。

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「なんでうさぎやねん!」
大国主命が主祭神なの?
そうではありません。岡崎神社の主祭神は、大国主命でなく、速素盞鳴尊(すさのをのみこと)、奇稲田姫命 (くしいなだひめのみこと)、三女五男八柱御子神
(やはしらのみこがみ)なんです。
奇稲田姫命は、速素盞鳴尊が八岐大蛇を退治した時、生け贄だった女性。
三女五男八柱御子神は、二人が夫婦になり、出来た子供らしい。
それをお祀りしている神社。

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大国主命と速素盞鳴尊は?
古事記と日本書紀で関係が違う。
大国主命は、速素盞鳴尊の息子という説と六代後の子孫というのがあります。

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うさぎなんか出てこないし・・・。
うさぎは、多産で安産なのと、この神社周辺に昔は野うさぎが多かったかららしい。
なんか根拠が薄いなぁ・・・。

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でも歴史は古い。延暦13年(794年)、桓武天皇の平安京遷都の際に、王城鎮護のため平安京の四方に建てられた社の一つとされ、都の東に鎮座するころから東天王と称される。
清和天皇が、貞観11年(869年)に造営し、播磨国廣峯から祭神・牛頭天王(速素盞鳴尊)を迎え祀り、当時同所にあった東光寺の鎮守社の役割を果たした。
だから、4社の大将軍の一つというのは、間違いないのです。

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来年の干支は「卯」なんです。
初詣の行列ができるんだろうなぁ・・・。
前回は2011年だった。岡崎神社に行った時の記事があります。
マスゴミの力はすごい!!(2011年01月05日)
この時は、まだ母親も生きていた。父親もね。父親はまだ元気に生きています。
来年の正月は、我が家は喪中になりますね。残念。

明日に続く

和菓子

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久しぶりの神戸 [洛外食]

神戸在住の方と話していて、急に神戸に行くことになった。
京都駅からJRの新快速でいけば、それほど時間はかからない。
ただし、連休明けだったので人身事故が多いようです。この日も一時間近く遅れた。
この時期、電車での人身事故が多いようです。
だだ昔と違ってスマホやLINEで連絡を取りあったりできるからダメージは最小限にできる。

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↑トアロードプレミアム(本日のハム・ソーセージ・サーモン・チーズ盛り合わせ」

神戸は久しぶりだったかも。
最近、私が行くレストランが極めて少ないのが辛い。
この日は、トアロードデリカデッセンの2階のレストランが営業していた。
久しぶりなので食べにはいった。
ここも古くからあるお店。

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↑ミックスグリル

昔は、年末にハムやスモークサーモンを買いに来たものです。
このクラスのお店がものすごく少なくなってきた。
で食べたのが本日の写真。
もちろん、パンも少々食べました。

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↑季節限定メニュー「いちごサンド(いちごとクリームチーズ)」

私が学生の頃、あらがわ(鹿鹿鹿)のステーキを食べに行った。
お年玉を1回の食事で全部使ったのです。
前菜のハム類がトアロードデリカデッセンのものだった。パン類は、フロンドリーブだった。当時は、あらがわの近くにあった。

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↑いちごのサンドイッチは、普通生クリームでつくるのですが、このお店は、クリームチーズでつくってあった。適度な塩気も好感でした。

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あの頃の神戸はよかった。
ポートピア以前の神戸はよかったな。
これから大阪万博と連動するために、開発して行くらしいけど、きっと悪くなって行くのだろうな。
もっとも最近の若い世代をそう思わないかも。あんなマークでもOKなんだものね。美的感覚もクソもないと思うけど。違うんだろうか・・・。

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普段のランチ [食]

ランチの写真がたくさん残っています。
本日の写真は、同じ日に京女と食べたもの。

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この写真が一番綺麗と感じました。
なんだろう?

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↑鐘園亭泉涌寺店「肉団子甘酢+ライスとスープ」

食事のお店は、鐘園亭泉涌寺店の中華料理でした。
散歩がてら徒歩で行くのです。
松葉杖で病院に通った道。

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↑「Bランチセット」

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私も京女と同じように甘酸っぱいものが欲しくなっています。
最近、酢豚を食べるのが多い。
そういう季節なのかな?

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↑梅香堂「ぜんざい(餅1個)」お餅が2つに見えるけど、半分に切ってあるだけです。

食事が終わり、東福寺散策。
帰りにデザートで梅香堂に行く。

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私は、おぜんざいを注文。
京女は、クリームみつ豆。
他のテーブルの人は、派手なメニューが多い。
いま流行のホットケーキやパフェを食べる人が多い。

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↑「クリームみつ豆」クリームがソフトクリームだった。

おっさんが独りで、この店の「全部のせホットケーキ」を注文していた。
好きなんだろうか・・・。もちろんホットケーキは二枚だし。
他のテーブルでは、ちょっと落ち着いた年齢のお嬢さんが「小倉抹茶ゼリーパフェ」を独りで食べておられた。すごい!

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クリームみつ豆でソフトクリームはちょっとあってないかも。
見栄えがねぇ・・・。

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大将軍3・・・近所風景 [社寺]

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本日も大将軍八神社。
書いて置かないといけないので書いて置きます。
本殿の側に大金神神社と歳徳神社があります。
さすが方位除けの神社、
吉方の神である『歳徳神』と凶方の神である『大金神』が祀られています。
大将軍八神社の大切な方位の神となります。

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歳徳神(としとくじん、とんどさん)をご存知ですか?
節分の時「恵方巻」といういい加減な風習があるでしょ。あの恵方から来る女神さんのことです。また、大晦日から各家庭に来られる女神さんなんです。その女神さんをお迎えするため、年末に大掃除をし、アンテナである門松をたて、ここに定着してくださいと鏡餅を置くのです。そして三が日をバタバタしないように、お節料理を用意する。
おそらく、そういうことを理解していない方の家には、来られないと思います。
恵方巻なんて、歳徳神に対してはなんの効果もないですね。

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金神(こんじん)とは方位神の1つ。存在する方位は、すべてのことに対し凶となる。結構、怖い存在。犯せば、族7人に死が及び、家族が7人いない時は隣の家の者まで殺されるという存在。
その対応で五節句というのが決められたそうです。こんな話は、初めてという人が多いでしょうね。
大金神は、金神に正確が似ている。方位神です。方角を示している。大金神と姫金神がある方角でいうと180度の関係で存在する。その方位は、毎年移動するのだそうです。その時の干支で決まるそうです。今年2022年の干支は「寅」では、大金神は亥の方角、姫金神は巳の方角となる。
名前が大金神だなら商売繁盛と思ってはいけません。念のため。扱いを間違うとえらいことになります。最近はどうかわかりませんけど。

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境内の一番奥に錨が置いてあります。
意味は?
この神社の宝船があります。宝船に錨が描いてある。宝船を自分の心につなぎ止めるというような意味。氏子さんがその意味に賛同されて、寄贈されたそうです。

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ここからは、神社近くの風景。

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この家の看板が面白い。
「す」→「酢」を醸造されていた家らしい。
もう造っておられないようです。

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この川は、天神川。北野天満宮に流れている川です。北野天満宮より上流は紙屋川という名前になり、北野天満宮より下流を天神川といいます。

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七味のお店を発見。
好みでいろいろな七味を調整してくれます。
昔の七味は、そうだった。

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山椒の香りを重視した中辛を購入。
ついでに山椒の粉も買いました。
京都人は、山椒が好きなんです。

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大将軍2 [社寺]

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↑モニュメントがどーんと立っている。清明神社の五芒星と違ってこちらは「六芒星」。陰陽道での「六芒星(籠目)」は、陰と陽の調和を表す、「五芒星」とは違う力を持つものとして扱われていました。

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↑下の八角形には、乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤という文字が刻印されている。この文字の並びを「八卦」と喚ばれている。

本日も大将軍八神社です。
はじまりは、平安京遷都からでしょう。
その時、神社ができたということではない。
平安京を造るのに、神経を使ったのは、当時最新の考え方である陰陽道的な考え方です。京都が794年(延暦13年)から1869年(明治2年)までの日本の首都としてあったのは、陰陽道にそって造られたからかも。首都が東京に替わってもいまだに大きい顔をしている。
先の戦争(応仁の乱ではない)の時でも爆撃をされていない。だから道が狭いのです。車社会に対応していない街なんです。

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↑招霊ノ木(おがたまのき)

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↑この木にも挨拶しておくといいですよ。

この大将軍八神社も当初は、大将軍堂という施設だったらしい。
大将軍(たいしょうぐん、だいしょうぐん)は陰陽道において方位の吉凶を司る八将神(はっしょうじん)の一。魔王天王とも呼ばれる大鬼神。
魔王とか大鬼神といっても、悪者の親方という訳では無い。

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↑阿形

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↑吽形

古代中国では明けの明星を啓明、宵の明星を長庚または太白(たいはく)と呼び、軍事を司る星神とされたが、それが日本の陰陽道に取り入れられ、太白神や金神(こんじん)・大将軍となった。いずれも金星に関連する星神で、金気(ごんき)は刃物に通じ、荒ぶる神として、特に暦や方位の面で恐れられた。
そういう陰陽道の神々の力を取り入れ、平安京を守護したのです。

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↑地主神社(大杉大明神)

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↑豆吉明神※
※明神(みょうじん)は、日本の神仏習合における仏教的な神の称号の一つ。

大将軍八神社の祭神とされる暦神八将神とは暦の吉凶を司る星神であり、太歳神
大将軍、大陰神、歳刑神、歳殺神、歳破神、黄幡神、豹尾神です。
おれらの神々が日本の神仏と習合していまになっている。

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↑五社、向かって左から、長者神(金運の守護神)・大物主神(交通の守護神)・菅原道真公神(学業の守護神)・稲荷神(産業の守護神)・事代主神(商売の守護神)

境内には、色んな社がある。
これは、神道の神と習合したけっかのものでしょうね。
それが明治時代になり、もっと極端になっていった。
国の方針に沿った宗教にして、怪しげ考えから?を無くして、戦争をするために思想統一を考えたのでしょう。

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↑三社、向かって左から、猿田彦神(導開の守護神)・宗像三女神(芸事の守護神)・命婦神(女性の守護神)

まだ書き切れていない神様もあります。
本日書き出した神様だけでも、御利益がいっぱいですね。
きっとお参りする人対応なんでしょうね。
まあ、お賽銭を集めないと神社も運営できませんからね。

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大将軍 [社寺]

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↑大将軍八神社

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↑本日の写真は、この特別公開に行った時のもの。

京都で「大将軍」といえば、焼肉屋さん?
「ニュー大将軍」というのもある。それはサウナ。
京都市在住以外の人には、わからないかもね。
「大将軍」というアメリカ映画であったな。チャールトン・ヘストンが主演で・・・確か観た憶えがある。
「大将軍」というバス亭がありますね。北野白梅町の近くだったと思う。これは、本日紹介する大将軍八神社と関係あるのだろうか?

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方位を守るのが大将軍神社の役割。
だから4方向で4社の大将軍がある。
西 大将軍八神社
北 西賀茂大将軍神社→過去に記事有、2012年07月31日
東 東山の大将軍神社→過去に記事有、2016年08月28日
  左京区の岡崎神社にもある
南 藤森神社の摂社

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↑大将軍神のお前立ち?やっぱり本物の方が良かったです。大魔神のレプリカでもよかったかも。

さて、本日の大将軍八神社について書きます。
平安京造営の際、陰陽道に依り大内裏(御所)の北西角の天門に星神 「大将軍堂」を建て方位の厄災を解除する社として創建されたという。
創建当初は陰陽道のお堂として建てられた為「大将軍堂」と称し江戸時代に入り 大将軍村の鎮守社として祀られる様になった。
また、その頃からそれまでの北斗妙見信仰※1から太白精※2の信仰に移り暦神と習合して 「大将軍八神宮」とも称した。
※1 北斗妙見信仰/陰陽道では、星で一番以来のは、動かない北極星、北斗七星が一番偉いとされていた。
※2 太白精(神)/方角神の名。金星の精で、大将の姿をし、兵事や凶事をつかさどる。

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北斗妙見信仰や太白精は、仏教とも習合している。妙見信仰というのがそうです。
妙見菩薩がそうである。
日本における宗教は、外国からみると複雑に見えるでしょうね。
なんでもありに見えますからね。
でも他国と違い宗教同士が戦争したりはしない。すべてが融けて渾然一体となっているかも。

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↑閉

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↑開

もともとの出発がそうだった。でも生き残るために仏教における習合のようなことがおこった。明治時代に「神仏分離令」というの出て「素盞鳴尊」となった。
1340年から約100年の間祇園社 (現 八坂神社)の管理下にあったからそうなったのかも。
そうしないと明治政府から神社として認められなかったのでしょうね。
それから大正、昭和となりさらに変化したのかも。

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↑パンフレットから引用。こんな状態で神像が並んでいました。

この神社の方徳殿(宝物庫)には、神像が残されている。神社系で神像というのは珍しいかも。
ひょっとして最近の日本では、方位ってあまりいわなくなったかも。
だんだん、神仏の力というか弱まってきている。特に戦後(応仁の乱ではないです)は特に酷い傾向にある。子供が学校で宗教をあまり教わらないのが気になる。大人でも古事記なんてあまりしらない。そのくせパワースポットなどと言っている。信じるならキチンと信じた方がいいかも。家庭でも子供に教えないです。京都市内の町内会では、昔は地蔵盆をやっていた。いまは宗教行事はやらないといいますからね。

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  • 作者: 中村肇
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
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薫風香る庭3 [社寺]

さて、庭からその他の箇所を紹介。
我々の家と違い、何も無い空間というのは清々しい。
昔は、庶民の生活もシンプルだったのでしょう。
電気製品も無いしね。

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我々の生活は、そんなに豊かでないのに、モノに溢れている。
電気製品も多すぎる。
物質的に豊かになってように見えます。それなのになんか物足りない。それだけでなく不安が増したように思います。
昔は、西洋医学などなく、病になれば悪くすると死ぬ。寿命も短かった。
今は、些細なことで死んだりしない。でも風邪一つシャキッと治せない。なぜなんだろう?みんな知識がいっぱいなのに、智慧は足りない状態。
モノがあぶれると智慧は働かなくなるものなのか?

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病気になったら神仏におすがりするしかない。
最近は、神仏もあまり当てにならないことになってきたかも。
環境が豊かになった影響で、自分の生きるための知恵や智慧を働かなくなった?退化した?
人間自身の免疫力もかなり弱って来た。いまの子供達は、肉体的・精神的に弱くなったかも。情報過多の影響か・・・。

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↑いつもは、反対側から見ています。

こういうシンプルな建物にいるとそう感じる。
いまの生活の豊かさと貧しさがある。
幸せ感も少なくなった。子供達から夢や希望が少なくなって来ているかも。
そんなことを考えていました。

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↑うまくすると床、新緑になりますね。

なんか話題が智積院からそれてしまった。
この智積院、もともとは根来寺(ねごろじ)の塔頭だったそうです。
根来・・・紀伊国根来(現・和歌山県岩出市根来)の大伝法院(現・根来寺)の塔頭だった。
根来寺は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)の根来攻めで全山炎上した。天正13年(1585年)の根来攻めで全山炎上した。当時の根来寺には2,700もの堂舎があったという。当時、智積院の住職であった玄宥は根来攻めが行われる前に弟子たちを引き連れて寺を脱出し、高野山に逃れた。その後、玄宥は新義真言宗の法灯を守るために智積院の再興を志したが、念願がかなわないまま十数年が過ぎた。

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関ヶ原の戦いで徳川家康方が勝利した翌年の慶長6年(1601年)、家康は東山の豊国社(豊臣秀吉が死後「豊国大明神」として祀られた神社)の付属寺院の土地建物を玄宥に与えた。これにより、智積院はようやく復興を遂げた。

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そういうことだったのですね。

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織田信長や豊臣秀吉が宗教勢力と闘ったのは、調べるとなかなか面白いですね。
このあたりの話は、面白いです。
書き始めたら切りが無いですね。また機会があれば紹介します。

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